本の見つけ方について
良書に出会うたびに思うことがある。
「もしもこの本に出会えなかったら、どんな人生だったのだろうか」と。
時に人は、たった一つの言葉を見つける為に、人生のとある時期を費やさなければならないことがある。
この作者の、この本の、このページの、この行の、この言葉。
たった一つのその言葉が、人生を大きく変えるかもしれない。
しかし、運命的な言葉に出会うのに、この世にはあまりにも本がありすぎるし、一冊一冊はあまりにも分厚く、文字数が多い。
これはまるで、広大な海の中からたった1匹しかいない魚を探すような、果てしない冒険だ。
下手したら生きて帰って来れるかわからない。
本というのはどうやって見つければいいのだろう。
神保町をふらふら一周しても、目ぼしいものが一冊も見つからないこともあれば、ふらっと立ち寄った公営図書館で運命の出会いを果たすこともある。
旅先の宿の本棚の隅っこにポツンとおいてあるかもしれない。
TikTokで誰かが紹介している動画が流れてきて出会うかもしれない。
というかそもそも、出会おうと思わなければ、見つけ出すこともできない。
一冊見つかれば、芋づる式に見つかることもある。
誰かに勧められて出会うこともあれば、勧められたそれは全くつまらない代物かもしれない。
個人的に有効だと思うのは、なるべく大きな図書館に行って、黙々と棚を眺めて歩き続けることだ。
タイトルにピンと来たら手に取る。
こりゃ違うと思ったらそっと元の位置に戻す。
それを繰り返す。
いつの間にか腕に抱えきれないほどの本が溜まっている。
確保した自分の席まで持って行き、ざっと目を通す。
その場で読めそうなものは読み、残りは購入する。
選書のセンスが良い店主のいる、行きつけの本屋を作るのも良い。
最近入ったもので良いものがあったかどうか尋ね、勧められたものをとりあえず購入する。
向こうからしてみたら、極上のネギ背負い鴨に違いない。
読書のメンターとなる人物を見つけるのも良い。
その人が読んで良かったと言った本を片っ端から読む。
メンターの探し方も色々ある。
読書家の友人に頼むのでも良いし、有名な書評家やブロガーから自分と志向が似ている人を探すのでも良い。
ブクログなどの読書メーターアプリで自分と同じ本を読んだ、顔も名前も知らない誰かの中から探すのも良い。
ひとつだけ、はっきりしている事がある。
本はなるべく沢山読んだ方がいいに決まっている、ということだ。
欲をかくならば、ありとあらゆる「読めない理由」を考えている間に、全ての本を一冊残らず読み尽くせばいいではないか。
実際、本というのは人類が作り出した創作物であり、人間の目を通されていない本は存在しない。
しかし、一個人はろくに本を読めず野垂れ死ぬ。
だから、自分にとって本当に必要な本をなるべく厳選して読まなけらばならない。
しかし、良書センサーというのはたくさんの本を読んだ経験に基づいて培われる。
「本と目が合う」ためには、結局は沢山読まなければならない。
何というジレンマだろう!
これでは一生涯海の中を彷徨い続ける羽目になりそうではないか。
時に私は、自分が出会うべきものが言葉であることを見失っていることがある。
漠然と「何か」を求めていても、それが何なのかわからなくなって、間違った方向に突き進むこともある。
そんな時に優しく手を差し伸べてくれるのも、また本だ。
日常生活において、変に身構えず、面白そうだなと思った本をとりあえず手に取る。
これが私のスタンスであり、今後も変わることはないと思う。