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命の繋がり、奄美から今そして未来へ

昨夜、薪ストーブの試運転をしました。

10回目の薪シーズンの始まりです。
木端や落とした枝を使ってみました。

暫くしたら、
安定の200度になりました。

薪は3本だけです。

すると、
今朝は外気は13度らしいけど、
室内は20度で快適、加計呂麻島みたい。
実は薪ストーブの効用は朝の快適さかもしれません。
冬はじぶんちが一番。

大根の種蒔きのついでに、
渋柿を採ってもらいました。
今年は5つしかなりませんでした。
(一番上の写真)
自然は季節ごとに、
何かを伝えているようです。
実を付けても報われない年になる、
(何か天災とか)
そんな予言を聞いたりして、
僅か5個でもほっとします。


朝ごはんの支度をしながら、
皮を剥いて、
ベランダに吊るしました。
5つだけはやはり寂しい。

柵越しに、
甘いのか渋いのか分からない柿が
未だ残ってます。
良く熟れたらカラスのおやつになります。

皮は勿論干しました。

沢庵漬けに入れます。

庭の大根が芽を出してるのを見ると、
まずは間引き菜で味噌汁です。


今朝のごはんは秋の炊き込みご飯にしました。
勿論、間引き菜の味噌汁も。

昨日の煮染めのワラビが塩辛かったので、
ジャガイモを足してみました。
ジャガイモは出汁だし、
塩辛からさを中和してくれます。

気が付くと、
重いものを持ったら、
左腕が力が足らないと気づくくらい、
回復してる。
却って気付かず何かしようとしてしまう。
力が入らず気づくの繰り返し。
人の身体はこの歳でも回復する。
有り難い。

柿を干し、
間引き菜を摘み、
キノコの炊き込みご飯を作ると、
秋も大きく一歩を踏み込んだようです。
それにしては、
俳句は加計呂麻島でニ句出来ただけ。
感受性も衰えてる。
平衡感覚だけでなく、
言葉も失われている。
老いるというのは、
見えていて掴めないものの、
なんと多いことか。

砂浴の前に申し込みしてた国立へ。
賢治と矢野さんの関係と聞いて、
申し込みしました。

国立二小から救い出された桜が、
里親さん達に届いていく様子を、
「杜人」の監督の前田さんが撮った映画、
〜国立ニ小樹木保存プロジェクト〜
大日向小学校特別編から、
太宰文緒さんのピアノと歌、
巌谷陽次郎さんの語り「虔十公園林」

前田さんと巌谷さん、太宰さんのトークライブ、
音楽と語り「三十年後」でした。

エンディングに、
桜の里親さんや、
桜を切らないでと声をあげた子どもたちの、
一言ずつがありました。
子どもたちは、
声を上げ、
教育委員会との話し合いにも参加し、
矢野さんの再生作業に参加してました。
子どもたちにとって、
残酷な大人の声を聞いてしまったけれど、
それでも諦めず、
樹木保存の道を作り続けています。

加計呂麻島への旅は空間だけのことではなく、
時間も渡る旅と思いましたが、
(薩摩藩時代の黒糖地獄の話し.
戦争の話し、
奴隷がいたことなども)
今日の映画や語りに会って、
今、ここにいる私から、
子どもたちの未来まで時間が繋がっていると、
理屈ではなく、
実感しました。

賢治の言う、
「誰が賢くて、誰が賢くないか」
と言う言葉が今の時代にそのまま通じてる。
加計呂麻島の暮らしをほんの少し見ただけですが、
「本当の幸い」という賢治の言葉と繋がっていると思いました。

矢野さんの言葉はずっと同じ、
「生きている限り出来る」
教育委員会の役人が、
「4日間でこれだけできますか?」と言うのにも、
桜の樹の里親さんの、
「こんな場所に植えられる?」と
いう問いにも、きっぱりと、
「出来ます」と答えて、
矢野さんはやり遂げました。
矢野さんの仕事は多くの子どもや大人を励ましてる。
人は理不尽な出来事や不幸なことに遭遇してきた。
それを乗り越えて今も人は生きている。
矢野さんの仕事は樹木だけでなく、
人が生きることへの応援歌だと思います。
子どもたちも生き抜く力を受け取ったと思います。
加計呂麻島の自然や時間も、
矢野さんの生きる力を見つける仕事も、
私に繋がって、
今ここに居るのが腑に落ちました。

やらねばならないことをせずに、
出掛けてしまったけれど、
やっぱり行って良かった。

八高線の駅で、
こんなポスターを見て、

土日の小澤酒造のイベントらしい。


ちょっと心騒ぎましたが、
真っ直ぐ帰りました。
(高尚な思いの後にしては卑俗な欲望)

明日は作業の日です。


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