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こんにちは。常見多聞です。

私はこのようなお仕事をしておりますので
運命や吉凶、そして善悪についてよく考えさせられることがあります。

私は吉凶と善悪は別物だと思うのです。

つまり、
吉=善ではなく、
凶=悪ではない
ということです。

つまり吉を得たから、それが正しいということではなく、凶があってもそれが間違っているわけではない、
ということですから、繰り返しになりますが、吉を得ることはイコール良いことではない、ということです。

損得勘定レベルの人は吉を得と短絡的に捉えますので、吉=正しいことだと思うわけですが、
これにつられると目の前にぶら下げられたニンジンに操られる個性のない愚かな人に成り下がる、
というわけです。

さて、本題ですが、今日のお昼にランチを食べる人は全国にたくさんいますが、当然人数には上限があります。
つまり今日ランチを食べる人は無限にいるわけではなく、限られた人数の人が食べるわけです。

そのような中、私のような風水師が、ある飲食店の風水鑑定を行い、そのお店の財運がアップしたとします。
財運がアップしたのですから、このお店の売上は上がり、来客数は増えるわけです。

このお店の店長さんは、「ありがとうございました。おかげさまで売上がアップしました」と言うかもしれません。

ただし、先ほど触れたように、全国で食事をする人の人数は限られており、この売上アップの裏で起きていることは、
他のお店に来る顧客を奪っているとも言えるわけです。
もし客単価が上がったのであれば、別の用途にお金を使う金額も下げていることになります。

つまり、世の中きれいごとを並べたって、所詮は競争の要素は拭えないわけです。

この飲食店に起きた財運アップは、吉現象であり、ランチは限られた人数の奪い合いなのですから、
同時にどこかのお店の売上はダウンしています。
売上アップが吉で、売上ダウンが凶ならば、自分が吉を得れば、どこかの誰かが凶を得てしまっていることになります。
宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」という歌を思い出しますが、誰かの願いが叶うころ、誰かが泣いているわけです。

財運はもちろん、恋愛結婚運も同じように競争や奪い合いのような側面があり、同じようなものです。では健康運はどうでしょうか?

健康運も競争や奪い合いという側面があるのかもしれない、という例を中国の老師から知り得た話でしてみましょう。

ある人の肩が痛くなり、断易によって占って化解してその人の肩の痛みが取れたのですが、
その人の痛みが取れると別の人が肩が痛いと言い出したそうで、その人の肩も同じように治すと、また別の人の肩が痛くなり出したそうです。

これはたまたま認識できる範囲内で別の人が同じ症状になったとわかった例ですが、毎回そうとは限らないというか、
通常は知らない誰ががどこかでバランスをとっているのかもしれないのです。
世界全体から見たら、エネルギー保存の法則みたいに、誰かがその苦労を背負わなければならない、と考えるとジャンルに関係なく、
吉凶は全員に等しく公平には与えられず、競争や奪い合いかもしれないし、不平等であることになります。

なので、吉を得た人は、それだけに満足せずに、
その吉を得たことを活用して、新たに価値あるものを生み出して、人に与えることが望ましい
と私は考えています。

これは耳に挟んだ話で、どこまで正確かわかりませんが、シリコンバレーの大富豪たちは高額な金額を稼いでいますが、
同時に高額な寄付も行っているそうです。
それは宗教観もあるでしょうが、罪悪感を和らげるためでもある、そういう心理が働いていると聞いたことがあります。

つまり自分は他の人よりすごく稼いでいるけど、それはたくさんの人の犠牲の上に成り立っていて、そこにどこかで罪悪感があり、
セルフイメージに合わなり、そのバランスを取るため、心の辻褄を合わせるために寄付しているという説です。

これが本当かどうかはともかく、自分が得た吉は、他の人に渡ることもできたものだった、
と考えると、競争には勝ったけれども、そこから感謝と分け与える気持ちが生まれてもいいんじゃないかと思います。

自己満足の人は視野が狭くつまらない人間だと私は思うわけです。自分が吉を得るために、他の人の犠牲がある、そう捉えることは大事なことだと思います。

そうなると初めて吉が善になるようにも思えます。

自分の話で恐縮ですが、風水のセミナーでいつも生徒さんに話しているように、私は実家で風水の処置を行う時、
周りの家族に吉の場所を譲り、私は残った場所(凶方位)で寝ることから始め、しばらくはそのままで過ごしました。
最後の最後に、工夫を凝らして自分もなんとか吉方位で寝ることが出来ましたが、いくら風水の知識があっても、
自分が最初に優先的に吉を取るような使い方は絶対にしませんでした。

風水に限らず、占いというものを通すと、人の本性があらわになりやすいです。
スーパーのタイムセールで争って商品を取り合っているように、吉に関しても自己中心的な惨めで愚かな大衆がいますが、
吉に関しても落ち着いで譲るくらいの余裕ある態度で、でも内心は真摯で一生懸命である、
そういう人こそ占術を使ってなんとか助けてあげたいと思うわけです。


風水コンサルティング見聞堂
風水大学

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