1.まつろわぬものと支配者の構造
常陸国ふしぎ探検隊-それは「天津甕星」から始まったと名付けたブログ新設しました。どうぞよろしくおねがいします。
それでは・・・・
日本書紀にまつろわぬ者ありと書かれた「天津甕星」またの名を甕星の香々背男(以降カガセオと呼びます)と言い、全国の星神神社(特に高知県、岐阜県、千葉県、栃木県)で祀られていますが、日立市の「大甕倭文神社」(オオミカシトリジンジャ)では、祭神にはなっておらず、鹿島建雷)、香取(経津主神)、静(建葉槌)に征伐された言い伝えが残っています。
カガセオの最期は建葉槌に銀の靴で蹴飛ばさられ、四方に飛び散ったと伝えられています。
しかし、まつろわぬ者とはあくまでも支配者側からの一方的な言い方であり、民衆の全てが感じてた事ではありません。
一般大衆は多くの場合権力に迎合するものすが、それは思考停止状態になっているからで、そうすることで、見かけ上それなりにヒツジ生活が確保されるという安易な生存本能に支配されてるからでしょう。例えば、なんの考えもなく政権与党に投票する人たちがその一例ですね。
一方、少しでも疑問を持って生活できる人達にとってはそうではありません。自分の意思で物事をきちんと考えます。疑問を持って生活しています。正義感が強く、真実を追及するタイプの人で、例えば、広河隆一(デイズジャパン発行人)、広瀬隆(地震や原発の評論家)小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)などから容易に想像できます。ようするに、金も要らぬ、名誉も要らぬ、命も要らぬ者は始末に困る、と西郷隆盛に言わしめた山岡鉄舟の原型が「まつろわぬもの」と呼ばれたのではないかと考えています。(そういながらも、鉄舟は幕府の要人ですね。支配する側です。明治天皇(大室寅之助と言われている)の教育係もしていたようです。でも、現在の官僚や有力者のように、既得権益を死守する思考ではなくその自覚と責任があったと信じたい)。
この思想がかわぐちかいじが、沈黙の艦隊の海江田四郎に言わせた「independence」につながってくるわけです。(ちょっと古いか)
つまり、カガセオは民衆から見れば「良い人」だったのだと思われるのです。縄文時代から弥生時代そして古墳時代、飛鳥時代と変遷していく歴史の中で、どうして「まつろわぬ者」という呼び方が出現してきたのか、その理由を考えることは現代の漠然とした閉塞感、不平等感の原因を知ることの一助になるのではないかと考えています。
「分断して統治せよ」とは良く聞く支配システムの一つですが、 非支配者(ま、我々ですけど)を競争させ、他人よりいい学校へ行って、いい会社に入り、いい所のきれいな嫁さんを貰い、隣よりいい車に乗り、大きなテレビを買う、みたいなことが社会的に成功と呼ばれるシステムを作り上げています。(それを無闇に信じている輩をB層と呼ぶのですが)
また、納税、年金、健康保険システムや死後も支配される宗教のシステム、簡単に言えば支配者構造、を構築してきた奴らは誰なのか?
それを知るには、タブー視される天皇制(田布施システムも含む)や歴史を見直さなければなりません。ねつ造されゆがめられた歴史を解明していくことが未来に向けて必要な事だと感じますから「まつろわぬ者」というキーワードから歴史を見直ししていきたいと思います。
最後になりますが、自我を形成している主要なものは
①遺伝子(先祖)
②過去生の経験値(自覚できる人はまれ)
③今世の経験値(好奇心)
ですから。