とりあえず生きてみる
まとまりのない独り言。
子供のころから「自分は何で生まれてきたんだろう」
「今こうやって考えてる自分は誰なんだろう」
って思いが常にあって。
もちろん、日々学校行って、遊んだりテレビ見たり、日常生活の中でずーっとそんなことを考えてたわけじゃないし、
成長するにしたがって日常のほうが忙しくて、そういうことを考えることは無くなっていった。
でもまだ20代前半で、突然同級生が亡くなったことがあって。
”死”って確実にあるけど遠いものだったのが、近くにあるんだって思った。
身近な人ではないけど、
好きな芸能人の方や、自分と同じ世代の普通の人が、老衰ではなく
亡くなったとき、それをニュースで見たとき、”死”について考えてしまう。
”死”とか”寿命”について、”誰が決めるものなのか”って考える。
私は今のところ、90歳まで生きる気満々なんですが、
やっぱり自分が乳がんになったとき、「死んでたまるか!」って思ったのと
同時に、抗がん剤の副作用で寝込んでた時は精神的に参ってて、
「こんな状態で生きてる意味あるのかな」って思ったの。
「ここで乳がんになって死んだらドラマチックだよね!」って生まれる前に決めてたとしても、はあ???そんなのまっぴらごめんだわ!と思うわけですよ。
病気になったのも運命だとか、自分が引き寄せたとか、全然思えないわけですよ。
でも、誰にも苦しいって言えなくて、”死”のことばっかり考えてて、自分の中に黒い点とかもやのようなものができて、元気になったら忘れちゃうけど、落ち込んだときや体調が悪い時にフッと思い出す、
「生きてる意味あんのかな」って。
私の場合は生きる執着が強くて、他人を押しのけてでも生きようとタイプで、”死にたい”より”ぶっ殺す!”(やらないよ!)と思う時のほうが多い、若干のサイコパスな人間ですが、気持ちが落ちたときに”魔が差す”ような感覚は、ちょっとだけわかるような気がする。
家族や友達、大事な人がいても関係なくて、そこまで考えられないし、結局自分の問題だよねって。もともと誰かに相談できる人は何かあったときに辛いとか助けてって言えると思うの。完璧主義だから、いくらいいことが1000あっても、真っ黒な1が気になって頭から離れなくて、ふとした時に出てくる。
私は死んだら終わりだと思うし、だから身近な人はもちろん、知らない人でも理不尽な死は嫌だし、逆に人を傷つけるヤツは許せない。
20代前半の時に「完全自殺マニュアル」って本が流行ったのね。単純に興味で読んだだけだけど、私は絶対できないなって思った。
寿命って自分が決めるものなのか、決めてもいいのか、決まってるものなのか、変えられないのかもわからない。確かめようがない。
とりあえず今は、娘がいるし、自分もまだやりたいこともぼんやりだし、ぼんやりだけど何かはやりたいから「まだ死ねん!」と思ってる。
まだ大金持ちになってないし、痩せたら着たい、お洒落な服も買ってない。
世界遺産も見たいし、家族でもっと旅行したいし、家族で11月にでる桃鉄(桃太郎電鉄)やりたいし、行きたいセミナーもたくさんあるし、今シーズンまだウニ丼食べてないし、好きな漫画は最終回まで見たいし、冷凍庫にハーゲンダッツのエスプレッソミルクあるし、8月から始まる学びが楽しみだし、連休においしいソフトクリームを食べに行きたいから、まだ死なない。
何のために生まれてきたのかわかんないから、とりあえず、もうしばらく、生きていこうと思う。
いつも読んでいただいてありがとうございます。「スキ」や「フォロー」もありがとうございます。オヤツなどに使わず、執筆活動のために有意義に使わせていただきますので、「サポート」していただけるとありがたいです!小躍りして喜びます💛