”根に持ってるリスト”~手放せないネガティブ感情の話
どーもー、ふっしーです。
昨日、近くの小学校の校庭を通りかかった時、小学生時代の苦~~~~~~~い出来事を思い出しました。
小学5年生くらいの冬。
体育の授業だったか、グランドでのこと。雪が降ったあとで、みんなでランニングがてらふわふわの雪を踏みならしてたんです。
結構降ったあとだったんで、靴の中に雪が入っちゃって、
友達(女子数人)と鉄棒のところで靴脱いで雪をはらってたんですよ。
そしたらサボってると思ったらしく、当時の担任の先生主導で、一斉にクラスの(主に)男子(全員ではないけど)から雪玉投げられたんですよ、一方的に!!
友人は反撃して雪合戦状態になりましたが、痛いし冷たいし、私はただただびっくりして何もできませんでした。。
その後どうなったのか全然覚えてないんですけど、
この出来事だけ強烈に覚えています。
何故か、ずーーーーーーーーっと根に持ってます!!
何も理由も聞かず、一方的に、先生主導で!
コレ、今の時代だったらイジメだろーが?
ふとした時に思い出す、「根に持ってますリストベスト5」に入れてます😡
当時は、「理由も聞かず」「一方的に攻撃された」ことが
ほ~~んとにショックで悲しかったんだと思うんですけど、すぐに怒りに変わりましたよね。。
クラスの男子は先生が言ったことに便乗しただけなので、
「小学生だしバカだよな。。」でいいんですが、先生に対しては怒り心頭ですよ💢
なんでこんなに「根に持ってるのか」
思うに、「男」「一方的に」「話を聞かない」「立場を利用して命令して人にやらせる行為」っていうのがモロ うちの”父親”で、余計に腹立ったんだと思うんですよね。
だから今でも、高圧的な態度や、自分はやらずに人にやらせるとか、こういうシチュエーションは見るのもイヤだし、
話聞かずに一方的に怒る人もメチャクチャ腹立ちます。
つまり、、手放せないでいるからこういう現象を見る→思い出すことで更に深くネガティブ感情を重ねていく、という悪循環に陥ってると言えます。
しかし!
「セドナメソッド」のように
「手放せますか?」と言われたら「手放せます」と言えるけど、
「本当に手放しますか?」と聞かれたら迷いなく「ハイ手番します」とは言えない。
自分の中に「仕返ししてやる」「報復したい」というブラックな感情がある事実。
その先生はどこにいるか知らないし、元凶の父はもう死んでいるから無理なのに。
こんな昔の出来事に囚われて、嫌な思いをして、、
さっさと手放せばいいのに、なぜか「許すと負けだ」って気がして手放せないのはなぜなんでしょうね??
まだ必要なのか?メリットがあるのか?
それでも、、
「いつ手放しますか?」と聞かれたら、「今手放します」と答えたい、かな。
これはまだ掘り下げる必要があるかもしれない案件ですね。
ぐるぐるワークもしようっと。 おしまい
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