感情を因数分解④~「面倒くさいこと」にしているもの

”偽物のやりたい”を手放して、”本当にやりたいこと”をやろう、という話の続きです。

ブログも、以前はすごくハードルが高かったのですが、「いいこと書かなきゃ」「ちゃんと更新しなきゃ」を手放して、「自分のアウトプットの為に書く」を最優先にしたので、
文章は上手くないしオチもないし、全然まとまらないんですけど😅しかも全然頻度低いんですけど😝、ゆる~~く続けられるようになりました。

「絵を描きたい!」も、自分のやってみたいという気持ちだけでやりゃ~~いいのに、なぜか

 『もっとうまい人がいる。そんなレベルじゃだめだよ。
 馬鹿にされるよ。今更そんなことやって何になるの?
 時間の無駄じゃない?意味ないよ。
 もっと役に立つことをしないと。』

↑ ↑ 脳内で雑音が聞こえるのだ!! ↑ ↑

実は、小学生の時絵を描くのが好きだったんですけど、中学に行ったらすんごく絵が上手い子がいて、、当時唯一と言っていいほど”好きで得意と思ってた”ことだったので😞わかりやすく挫折したのです。。

ブログのように「自分のアウトプットの為にゆるくやればいい」と思えないのは、「上手くなきゃだめだ。上手い人が羨ましい!私も褒められたい!でも下手だから無理!」っていう執着心?コダワリ?ブロック?があるから、物理的時間的な問題を無くして環境を整えたとしても、「やろう」に至らないんだと思う。

挫折したときに「上手くないと意味がない」「負けるなら戦わない」って決意したような気がするから、
中途半端に「下手でもいい、自分の為だから」ってできなくて、「やるかやらないか」になってるのよ。

それに「絵を描くこと」って、家事のようにやらなきゃいけないことではないから、「どうせやってもやらなくても〈私の人生〉何も変わらないし、、」ってやる前から諦めてしまうんだよね。

仕事になるとか、収入に繋がるとか、
誰かのためになるとか、役に立つとか、貢献できるとか、
そんなことではない、本当にただ自分の為だけに、
「価値も産まないようなこと」「無駄なこと」「自己満足なこと」今更やってもしょうがないよねってと思ってしまう。

でも、ただやってみたいという気持ちが芽生えたことが大切で、そういうことこそ自分には必要で、自分の人生変わるきっかけになるんじゃないか??とも思うんだよ。

   好きなキャラ合わせてみた(スライム&お文具)↓


いいなと思ったら応援しよう!

令和の賢者✨ふっしーのカオスな日常|「自分のことしか考えてません」
いつも読んでいただいてありがとうございます。「スキ」や「フォロー」もありがとうございます。オヤツなどに使わず、執筆活動のために有意義に使わせていただきますので、「サポート」していただけるとありがたいです!小躍りして喜びます💛