私の転職体験
私も転職したことがある。全く違う畑を目指したから、一から学校に行き直して資格を取ることから始めた。3年団体職員として働いた後のことだ。
目指したのは看護師だ。そんなになりたかったなら、社会人をせず、高校卒業して看護学校でも行けば良かったじゃないと言われそうだが、その時の私に一番言いたいのは、私だ。とにかく理数系が出来なかったから、初めから諦めていた。学校推薦も内申点が足りなかったし、まーいいやという感じで、地元の文系の大学へ進学して働いた。
仕事を始めて3年目の秋、父が病に倒れ入院。病院という存在が近くなった。
父が癌になった。長らくお酒が止められずにいたが、健康のためと散歩をしたり、温泉に行ったり心にも平穏が戻ってきた矢先の宣告だった。末期、余命一ヶ月。今にも死が来るかのような医師の言葉。父の闘病と共に私の看護学校探しは始まったとも言える。また、父の受け持ち看護師の存在も大きかった。幾度となく繰り返される入院でいつも担当してくれた。働きながら子育てをするベテランナースだった。父は誰よりも信頼していたように感じた。きっと辛いことや不安なこと、あの看護師さんには伝えられていたんじゃないか。私もこの人になら話してみよう、相談してみようと思われるような看護師になりたいと考えるようになった。
看護学校探しは雑誌でしていた。まだまだネット環境が整っていなかった。
今以上にネット環境が無い中、当時は雑誌なとで看護系の学校を探すしか無かった。色々な職種も調べた。確実に勉強して働けるというのが私の条件だ。ヘルパーや介護福祉士、はり鍼灸師…。その中で看護師が一番出来ることが多い気がした。仕事の幅が広い。そうして、私の孤独な看護学校受験が始まった。
看護師になるには、①中学卒業して准看護学校 ②高校卒業して看護系の大学進学 ③高校卒業して看護学校進学 ④高校の衛生科進学に大まかに分けられることが分かった。私は働きながら学べる①を選択した。正看護師まで5年かかるが、働きながらなら構わないと思えた。
私が受験準備として勉強したのは、一般的な国語と数学、あとは面接対応だった。出来ていたのかはさっぱり分からないが、合格だった。晴れて4月から准看護学校生となった。
8月からはクリニックで看護助手として働き、夕方から学校へ行くという生活を2年続けた。看護師になりたいという気持ちは1つも揺らぐことが無かったからこそ続けた。その間に父は天国へと旅立ち、父に出来なかった心温まる看護をする、その一心で続けた。そして、卒業というとき、正看護師になるために専門課程に進学した。そして、看護助手、准看護師として働いていたクリニックを辞め、現在の病院に入職することとなる。
新看護体制7:1
新看護体制7:1になるという時、多くの看護師が必要になったことがあった。その際、准看護師の採用も行われた。正看護師が定員に満たないためか、准看護師も募集されたのだ。私はその波に乗り、転職した。今では准看護師の採用はなくなっていないものの、看護助手扱いとなる。私は幸い准看護師として働けたので、患者さんや先輩ナースを通して多くの学びがあった。いつでも患者さんは私の師だ。
看護師になるには、転職の前に学校へ行かなければならない。私の転職体験は5年以上かかって成し遂げるものとなったが、転職後十年ほど働いてきて、その思いはどうか、またどこかの機会でお話しできたらと思っている。
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