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知(らない)人との交友録

・一見破綻したタイトルにも見えるが、「本名知らないけど多分友達」みたいな関係というのは2020年現在に於いてなんら不思議なモノではなくなった。

・これは僕が高校生の頃。2004〜2006年頃の話だ。この頃、知らない人から一方的に僕のメールアドレスが見つけられ、メールがひっきりなしに届き、通知が鳴り止まなかった。

・僕が有名人だったとか、出会い系に登録していたからとかではない。単純に、メールが届きまくっていた理由は、僕のメールアドレスが「そういった人々」にとっては見つけやすいものであり、話し相手としては最適と思われていたからだ。

・何を隠そう、当時の僕のメールアドレスは「hyde-tetsu-ken-yukihiro@xxxxxx.ne.jp」だった。(携帯キャリアのところは隠した)そう、L'Arc-en-Cielのメンバー名を並べただけのアドレスだったのだ。下手したら「自分もこのアドレスにしてた!」みたいな方もいるのかもしれない。僕がこのアドレスを使う前or手放した後に。

・このアドレスの特徴は、まあ知らない人から「ラルクお好きな方ならこのアドレスにすると思ってご連絡しました…!」というメールが沢山飛んでくるということだ。当時は「アドレスを適当に打ってメールをする」という無差別ゲリラ奇襲みたいなことが平気で行われていた。単純に「周りにラルク話が出来る相手がいない」みたいな人が多かったのだ。2ちゃんねるは「批評の場」として機能していて怖かったから、単純に楽しく話すには向いていなかったし、チャットルーム等にも必ずアンチが湧いたりしていたので、ただ楽しく平和に「ラルク友達」を作りたい人々は、こうして実弾たるメールを、それらしいアドレスに向けて送ったりしていたのだ。

・同い年の女の子、2個上のアニキ、20代半ばの女性、30代の割としっかりした男性、etc…。最終的には、合計2〜30人から、僕のアドレスにはメールが届いていた。決まって内容は「ラルクの話がしたい」だった。それもそのはず、当時は「SMILE」というアルバムがリリースされた後で、これが前作から3年半ぶりのリリースだったりして、ラルクファンは盛大に「ラルク帰ってきた〜!」となっていたのだ。僕は周りに後のバンドメンバーとなる野月くんや木野くんと初代ドラムの根岸くんがいたので、この4人で学内で盛り上がっていた。このときが自分のバンドの起点だったともいえる。

・知らない人とのラルクトークメールは結構新鮮だった。その中でも千葉に住んでるという同い年の女の子とのメールは、心を躍らせた。東京に遊びに行った際に、ラルクが載っている駅の看板や町の広告を写メールで送ってくれるのである。青森の田舎しか知らなかった当時の布施少年は盛大に心をときめかせた。「すげえ!ラルクって東京だとこんなに街に溢れてるんだ!」と。普通に考えてMステやら歌番組でその存在を知り、テレビCMでバンバン流れていて、何よりも青森の田舎で自分ごときが知っている時点で「ラルクは超有名」なのは明白なのだが、高校生の自分の視野とその生きる世界はとてつもなく狭かった。

・その女の子とのメールは1年程続いていた。なんだか純粋に「異性」として認識していて、「こんな服買いたいけど、青森にないんだよなあ」「東京いけばあるよ!今度いこうよ!」「いきたいなあ」「むしろ青森いきたい!十和田湖!」「十和田湖は地元とは違くてさ」みたいなやりとりを重ねて、なんか流れで「東京の大学に入ったら実際に会おう」みたいな話になっていった。

・結局、この小さな約束めいた話が叶うことはなかった。メールでしか繋がっていない関係だ、メールの切れ目が縁の切れ目。受験のタイミングで連絡は途絶えた。志望校は一緒だったはず。僕は落ちて、その近くの滑り止めで受けた大学に入った。彼女は今、なにをしているんだろう。まだラルクは好きなんだろうか。僕は未だにラルクのファンだし、自分でバンドもやっている。CDもリリースしてるんだぜ。ワンマンもやれるし、フェスにも出たし、色々あるけど今でもまだやれてる。この日記を読んでいてくれたりしたら非常にドラマチックだよね。

・あとは、2個上のアニキ。この人はドラムをやっていると言っていた。なんやかんや同性同士というのはノリが近しいので、ラルクの話やらエロい話やらですごく盛り上がった。成人前の一番悶々とした年頃の男子だ、それはまあ楽しく話していた。アニキは関西の人らしく、メールに垣間見える関西弁がすごく羨ましかった。

・閑話休題、上京してからというもの、「青森出身なんでしょ?訛りでしゃべってよ!」という地獄のキラーパスがたまに飛んでくることがある。ただ、僕は幼い頃から両親の影響で然程訛りを知らない。とはいえ祖父母の訛りは聞いているので、軽めの南部弁的な訛り方ならやれる。ただ、これがすごく地味だ。大抵の人は「青森の訛り」というと「津軽弁」を想像している。幸い母方が津軽の人なので、そっちで得た知識を使って、その場をやり過ごすようにはしている。訛りは自然と出るものだ。不自然に使ってはいけない。青森出身!と言うと、こういう被害に都会ではたまに遭ったりする。僕にこのキラーパスをした人々は、本当の津軽弁のおそろしさを知らないまま一生を終える…。(マジで日本語と認識出来ないことがあるから)

・そんな理由から、関西弁という「わかりやすいし使っても話が通じる割に地元色を殺さずアピール出来る訛り」への憧れはすごかった。そんな、2個上のアニキとのメールは、僕が大学1年生になる頃まで続いた。高校の修学旅行で奈良京都に行った際、「関西の人だから」という理由で「会おうぜ!」みたいにはなっていたが、これも叶うことはなかった。それから暫くして、僕が受験を終えて上京し、大学生となった旨を伝えるメールを最後に、アニキにはもうメールが届かなくなっていた。

・今思えば、同い年の千葉の女の子も、2個上の関西のアニキも、本当は全然違う人だったのかもしれない。僕は馬鹿正直に「青森のラルク好き高校生!」と名乗っていたが、相手は女の子でもなければ千葉の人でもなく、アニキでもなければ関西の人でもなかったのかもしれない。そもそも本名なんて知らないし、僕たちは具体的な、パーソナルな話というのは、なにもしていなかったのだ。あんなにつながっていたのに、「ラルクが好き」以外の共通点はなく、メールが届かなくなった今、もう二度と僕たちが出会うことはない。最初から最後まで知らない人だったわけだから。

・アニキへのメールが届かなくなったことを境に、僕はメールアドレスを改めた。その頃にはもうラルクファンからのメールは止んでいたし、「mixi」なる日本のSNSの元祖みたいなものが登場して、そこのコミュニティに入ればファン同士で気軽に話が出来る様になっていったからだ。

・「本名知らないけど多分友達」というのは、現代に於いてなんら珍しくはない。近くの親族よりも遠くのネット友達の方が心の支えになってくれたりするし、学校に居場所が無くともネットには居場所があったりする。ただ、僕が過ごしたあの時間は、知らないラルクファンたちとのメールのやり取りは、「友達」とのやり取りだったのか?と言われると、一概にそうともいえない。最初から最後まで知らない人のままだった。

・そこに本当があったかなんてことは正直どうでもいい。ただひとつわかっていることは、みんなラルクが好きだった。これだけは確かだ。そんな些細なことで僕らはつながっていた。お互いの顔も名前も知らずに。何も知らなくたって、誰かとつながることは出来る。言い換えれば、「これ好きなんですよ!」という気持ちは、素性も本当も通り越して他人とつながることが出来る力を秘めている。勿論他人とつながることを欲しない人もいると思うから、ここではあくまで喩えであって、色んなものへの突破力が「好き」の気持ちに凝縮されているというか。

・あなたの「好き」はそれだけの力を秘めています。誇ってください。これは僕が昔知ったことのお話。

fusetatsuaki

僕が良質な発信を行い続ける為には生きていないといけないので、サポートしていただけたらその金額分生きられます。主に家賃に使います。