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傷と雨傘 を読んで。
私の雨傘は確実にあった、うん、ついこの間まで。
だけど、その雨傘は実は他の子に譲られていて、気づいたら私のものには穴が空いていた。そりゃ冷たいわけだ、雨が入ってきてるからね。
私はずっと、他人に傘をさしてもらいたかった。誰かにさしてもらわないと、自分では濡れていることに気づけなかった。だけど、あまりにも雨が冷たすぎて、気づいてしまったんだ。
自分の傘が壊れてることに落ち込んでいた私は、自分が誰かの傘になっていることに気づけていなかったんだ。
ゼミの2.3年生に向けて、卒論報告会というのは名ばかりの、お話をしてきた。私に話せることなんてあるのかしら、と思いながら一応それっぽいスライドを用意して、臨んだその日。私の前に発表してた人はすごく真面目で、私のスライドって文字大きいなあとか、そんなことばっかり思っちゃって。
私に伝えられることはこれじゃないかもな、と思った。
そして私は、本当に伝えたいことを、拙い言葉を必死に絞り出して伝えた、つもり。伝わってるか不安になりながら、それでも、人の言葉の温度みたいなものを信じているから。
そしてゼミが終わって、チェックアウトの時間。信じられないくらい素敵な言葉を送ってくれた。まさに、「急なご褒美が降ってきたんだ」と思った。
論文を読むだけじゃなくて、今日この場でのゼミ生との会話とか質問への答え方を見て、今日この場に来てよかった、と言ってくれる子がいた。過去の自分の気持ちを肯定してもらった気持ちになった、と言ってくれる子もいた。私の言葉を、これからも胸に留めていきます、と言ってくれる子がいた。他にも沢山沢山。
皆へのありがとうが追いつかないくらい、一人一人となんか美味しいお菓子でも食べながら、あったかいお茶でも飲みながら、ゆっくり話したいくらい、本当に幸せな時間だった。
誰かの傘になれたのかもしれない。だけどそれはきっと、大きな傘ではないだろう。たまには錆びて開かない日もあるかもしれないし、家に忘れちゃう日もあるかもしれない。
それでも、いつか、どこかで、必要な時に、必要な大きさで、開かれる傘であれば、それでいいと、そうあって欲しいと、心から願った。
私の傘はまだ修理もできていないけれど、気づいたら、降っているのは、冷たい雨だけじゃなくて、優しくて暖かい言葉があったんだ。
傘を直すのはまた今度でいい。
降ってくるものを自分の身体で十分受け止めて、それから直そう。