当たり前のことを当たり前に
「じゃあ、洗い物ジャンケンしようか」
夕食を終えて、空になった皿を前に夫が言う。これは我が家の恒例の光景だ。負けた方が洗い物をする。
最初はグーと言って、手を出す夫に対して、わたしは後出しジャンケンをして勝利する。これもお決まりのパターン。わたしは我が家においてジャンケン無敗なのである。要するに、夫は毎日食器を洗ってくれる。
当初は、料理をしていない方が食器を洗っていたような気がするが、いつの間にかほとんど毎日夫が食器を洗ってくれるようになった。わたしよりも丁寧に食器を洗い、そしてついでに棚の上の埃やら汚れやらを掃除してくれる夫の姿は、ずいぶんと頼もしい。
「今日も洗ってくれるのね!ありがとう!」
出かけていても、家にいても諸々の用事で忙しい夫が、こうして家事をしてくれることは妻にとってどれだけありがたいことか。毎回のようにお礼を言ってしまう。
「当たり前のことだよ」
手際良く食器を洗いながら夫はそう言った。確かに当たり前のことなのかもしれないけれど、当たり前のことを当たり前にするということは、尊敬すべきことだ、とその時わたしは思った。
「当たり前のことを当たり前にすること、それが基本」
そう続ける夫に、なるほどと思いながらも、それが意外と難しいことだと思った。
当たり前のことだから、地味なことが多いし、面倒くさいし、誰からも感謝されないことが多い。でも当たり前のことこそ大切なことはない。
そんなことを思いながら、自分にとって大切にしたい「当たり前なこと」って何だろうと考えてみた。家族を大切にすること。出会った人を大切にすること。移り変わる季節の中で、自然に触れること…。こういった抽象的な事柄をもう少し具体的に考えてみる。人を大切にするために、わたしが出来ることって何なのか。お世話になった方、贈り物をしてくださった方、家に招いてくださった時など、時々お礼の手紙を送るようにしている。これが「時々」というところが自分の甘さだということは自覚している。いつもそうしたい。それこそ「当たり前」のようにしたい。
記念日に素敵なお店で食事をしたり、花束をもらったりすることも嬉しいけれど、忙しくても疲れていても「これはぼくが出来るから」と言って夫が家事をしてくれることは、もっと深い感動がある。
当たり前のことを当たり前にすること。小さな習慣の積み重ねが、その人の人格となり、その人の生き方になる。初めは誰にも知られないような小さなことであっても、いつの間にかその人から漂う良き香りのような「当たり前」を、わたしも身につけていきたいと思った。