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人は如何にして「超人」になりうるか
※このnoteは普段、私がどのようなことを考え、どのように人と接しているか、普段の生活の中に楽しさを見出しているかといった内容であり、漫画にみるような超能力が使えるようになったり、魔法の類いを取り扱う内容ではありませんのであしからず。
(引用および注釈は読み飛ばしていただいても大丈夫です。注釈は文末に纏めて記載しておりますのでスクロールしてください。)
ニーチェ「超人思想」
タイトルにあるように私の人生観の一部にニーチェ思想が影響しているように思います。
「超人」とは、ルサンチマン(※1)を克服した人のことを言います。
超人は、自分の価値を自分で創造し、自分の人生を自分で決定していきます。
ニーチェは、ルサンチマンに囚われている人間が超人へと進化することで、初めて真の自由を得ると主張しました。
要するに、超人となることで、永遠回帰(※2)を卑下したり、生きている価値がないという事実に負けて無気力になることなく、自分の運命を愛することができるようになる。ということです。
世の中、自分の生を肯定できなかったり、周りに馴染むことができずに苦しい思いをされている方も少なくはないかと思います。そういう方の救済とまではいきませんが、何か手がかりになればと思います。
終着点は上記で相違ないのですが、超人そのものの考え方、そこまでのプロセスがニーチェの言うところの超人とは異なりますので、私なりの超人について書き記すことができればと思います。
筆者的「超人思想」~個人的見解~
私の思うところの超人とは、何事にも悲観することなく(悲観に終わることなく)、結果として前向きに生を謳歌できるものであると考えます。
その過程で重要になるのが「主人公観」という考え方になります。
(※主人公観とは、自分の人生において主役は自分自身であるという認識を強めるものであって、自分中心に世界が動いているといった誤った認識は持たれないようにお願いします。)
私の考える超人となるための最短経路は「多くの主人公観を獲得すること」にあります。
ルサンチマン的思考に陥り、人と馴染めない、自分の生を肯定できない要因として、
自分の意思の欠如
他者理解の欠如
自他境界の線引きの曖昧さ
などが考えられます。
要は確固たる自身というものが確立できていれば悲観的になることは少ないと思うのですが、それだけでは社会に馴染むことが難しい。
そこで役立ってくるのが、他者の主人公観をより多く獲得することであり、時と場合に応じてその主人公観を自身に憑依させる(うまく理解の足がかりとする)ことができれば、万事うまく回ってくれると思うわけです。
理解し難い相手との会話において、一方的に非難することなく一旦飲み込む(そういう考えもあるのかと受け止める)ことや、
自分には不相応な場だと卑下することなく馴染もうと努力する上でも、
その人にはその人なりの主人公観があるのだと理解し、場合によっては別で得た主人公観を憑依させることで、ある種その場での楽しみ方が見えてくるのではないでしょうか。
(前述したように、主人公観とは自分本位な世界を持つということではなく、自分には自分の主人公観があり、他者にも同様にその人なりの主人公観があることを肯定することであり、他者理解にはそれが必要不可欠であると考えます。)
「主人公観」を獲得する手段
これは無数に考えられますが、例えば
本に登場する人物
映画に登場する人物
実生活する上で目にする人、会話相手
など、皆が主人公であり、その主人公観(考え)を注意深く観察することが必要だと思います。
要約とまとめ
長くなりましたが、簡潔にまとめる(言い換える)と、
人は誰しもルサンチマン的感情に苛まれることがあると思います。
脱却の糸口として、色んなものを鑑賞したり読んだりしてビッグデータを蓄積する(他者の主人公観を多く獲得する)ことで、その数多のモデルの中から、状況に応じたものを適用することで、特定のモデルに執着しなくなる→ルサンチマンからの脱却(=超人)という訳です。
まあ超人に成ることなんて夢のまた夢の話なんですけどね。少しづつでもそれぞれの主人公観を尊重できる世の中になれば、平和的かなとも思ったりして。
そんなことを書き綴りました。
ほなまた。
※1 ルサンチマン
「ressentiment」から来る言葉で、深い恨みや劣等感、未消化の怨恨や嫉妬を表す心理学的な用語です。 特に、自分の欠点や劣位を他者に向ける強い感情として表れることが多い。
※2 永遠回帰(永劫回帰)
世の中は同じ事象が永遠に繰り返してくるということ。 「永劫」は、無限に続く長い年月。 「回帰」は、一周して元のところへかえること。 生の絶対的肯定を説くニーチェ哲学の根本をなす概念。要するに生まれ変わっても同じ自分としての生を過ごすことになるということ。