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どんどん来る来る、シャッターチャンス。

【2011年11月9日】1歳3か月の頃。

1歳3カ月の娘は日に日に成長している。昨日できなかったことが、今日できるようになっていたりする。もちろん「できるようになった」ことは歓迎すべきことだけど、それと同時に「できなかった昨日まで」が失われたワケでもある。

できなかった日々よ、サヨウナラ。嗚呼。

そう考えてしまうのである。これはもうキリがない。娘の成長の過程をゆっくりたしなみ、その段階に満足したら、次のステップに進んでくれないだろうか。真剣にそんなふうに思ってしまう。もしも娘の成長をコントロールできる薬があったら、投与してしまうんではないかと一瞬でも考えた自分が恐くなった。しかし、人間は良いモノを発明した。
カメラである。過ぎゆく日々を残すための写真が、この悲しみに抵抗する唯一の方法だ。

前置きが長くなったが、要するに写真を撮りまくっている。

娘の了承を得ずに、基本は「俺が撮りたい時に撮る」という巨匠スタイルだ。家の中ではもちろん、外出すれば「初めて○○に来た想い出」となり、そのシャッターチャンスを逃す手はない。こうして、気が付けば…常に写真を撮らなければならないという脅迫観念に駆られている。もはや軽いノイローゼだ。
その辺、世の親たちはどうしているんだろうか。カメラが身近な存在になった今、僕みたいな苦しみを味わう人はいるんじゃないか。

写真を撮り出して良かったことが一つある。田舎に住む親にメールで添付して送り始めたのだ。それまでは親にメールすることなど、ほぼ皆無だった僕が、
娘の良い写真が撮れた時だけメールで送る。文面は何も書かない。恥ずかしいからだ。ただ写真を添付して一方的に送り付ける。すると、母親から返信が届く。こんな手軽なことで親孝行をしているつもりはサラサラないが、孫というのは相当に愛しいものらしい。

まだだいぶ先だが、このコラムは自分に孫ができるまで書き続け、孫を産んだ娘にバトンタッチしたい。というか、その時まで劇団はあるんだろうか。

<文・フルタジュン>


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