「おとーちゃん」と呼ばれて…
【2011年7月6日】ほうほう、娘は11カ月。
来月で1歳になる娘が、最近、言葉を発するようになってきた。娘にとって、一時期のブームは「た」だった。書いて字のごとく「た」だ。ずーっと「た」を連発していた。まさか平仮名を一つずつ覚え始めたのかと思ったがそうではなかった。「た」を卒業した娘は、いきなり「おとーちゃん」と言い始めた。
我が家では、父親のことを「おとーちゃん」、母親のことを「おかーちゃん」と呼ばせようとしている。その努力が実を結び、「おとーちゃん」を連発し始めた。僕を指さして「おとーちゃん」。正解だ。間違いない、僕は父親だから。ただ、奥さんを指さしても「おとーちゃん」だった。まぁ、しょうがないか。響きが「おかーちゃん」と似ているからな。これから区別できるようになるだろう。しかし、飼っている犬(ジョン)を指さしても「おとーちゃん」だったことで、全てがぬか喜びへと変わった。娘はまだ父親という概念を理解できておらず、動くもの全てが「おとーちゃん」なのである。
最近は、娘がグースカ寝ている内に家を出て、娘がスピーと寝ている頃に帰宅することが多い。起きている娘に会うことが減ってしまった。このままでは「おとーちゃん」の呼び名の座を、リアルに犬(ジョン)に取られかねない。取られてしまった場合、僕はなんと呼ばれるのか。
親の呼ばせ方をチョイスしながら、すでに教育が始まっていることにも気が付いた。すっかり油断していた。教育、すなわち、育ってほしい道しるべを作ってあげるのは、まだ先のように感じていたが、もう始まっていたのだ。どうやって道しるべを作ってあげれば良いのか。非常に難しい問題だ。
いつか「私、親が敷いたレールの上を歩いてきた人生だったわ」とBARで語られ、隣に偶然居合わせた中年の男が「レールを外れてみませんか?」と誘われるのだけは困る。考えただけでも気が滅入るので、道しるべの作り方にも慎重になってしまう。そして、いったい何歳になったら中日ドラゴンズの選手名を教えてもいいのだろうか。中日ファンとしては、それが気になっている。
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