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目の奥の輝きに用がある

【2012年7月19日】1歳11か月

もうすぐ2歳になる娘。病室で生まれた瞬間「うぎゃー」としか泣けなかった口は、今では「あしい」と言えるようになった。もちろん「足」のことだ。
そして、その「あしい」を使って、トコトコと歩いて行けるようになった。
最近、僕は娘の後ろ姿を見ることが俄然多くなったのである。

まだ追い付ける。行動範囲だって限られているし、走れば当然、僕の方が速い。けど、少しずつ少しずつ、本当に少しずつ娘の行動範囲は広がって行き、やがて追いつけなくなる日が来る。後ろ姿を探しても見つからなくなる日が来るのか。それを成長と呼ぶのだ。

ただ遊んでいただけのオモチャなんかも、その成長を物語っている。カギを鍵穴に入れて回すと、ドアがビューンっと勢いよく開くやつがあって、マヌケな音声で「ただいまー」って流れる。娘は1歳ぐらいから、それを開けて遊んでいる。先日、僕の仕事部屋のデスクに鍵がかかっていたことがあった。傍らに、本物の鍵を無造作に置いておいた。娘はやってきて、まずは鍵が掛かっていて開かない引き出しにイラついた。まるでペナルティエリアで倒されたFWが、「審判!今のファウルでしょ?」のアピールに似た「開けてくれ」という必死な身振り手振り。しばらく抗議運動は続いたが、次の瞬間、娘の目が鍵の存在を捉えた。あの時の輝きったらなかった。

(娘の脳内)「…待てよ。これ知ってるわ。あのオモチャのやつと同じや!あの応用編や!」

もちろん、娘は関西弁ではないし、これは僕の想像モノローグに過ぎない。
でも、確実にそんな目をしていた。頭の中で点と点が線でつながる瞬間を目の前で見た。それから、悪戦苦闘しながらも鍵を開けることに成功した。それにしても、あの目の輝きがうらやましくなった。自分はしばらくしていない。あの目がしたいもんだ。大人にも、まだできるはずなんだ。

<文・フルタジュン>

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