沖縄の複合文化
日本と沖縄の古くからの関わりについて最も印象的なものは柳田國男の『海上の道』で示された稲作北上説でしょう。
民俗学者の柳田國男は黒潮に乗って本土に漂着した南国の椰子の実に想いを馳せて、日本文化の源流と考えられる弥生時代の稲作文化は中国華南地方から沖縄の島々を海上の道として島伝いに北上してきたと考えました。
柳田はさらに宝貝と稲作の結びつきも指摘しました。
宝貝は今はお土産で有名ですが昔は通貨として使われていました。
特に古代中国では真の始皇帝が全土統一を果たすまでは全国的に通貨として宝貝が使われていたという記録もあります。
ちなみに時代が下っても特に中国奥地では宝貝を通貨として使う風習が残っていたため、17世紀頃でも沖縄で宝貝を買い、中国奥地に持っていって交易に使っていたそうです。
柳田はこの宝貝に着目して、宝貝を求めて華南地方から沖縄に渡ってきた人々が長期滞在に備えて稲を帯同したと考えました。
特に宮古島の近くの池間島の八重干瀬に着目しそこで多く取れる宝貝と稲作を結び付けています。
これが日本文化北上説ですね。
これに対して沖縄学の父とも呼ばれる伊波普猷は逆に沖縄の言語や民俗は九州から時を経て南下したもので日本文化に起源を持つものだと考えました。
3世紀ごろ九州の東南海沿岸にいた海人部が奄美大島を経て南下して行ったのが沖縄神話に登場するアマミキヨ、要するに沖縄人の祖先ではないか?と考えました。
南下説は島津の琉球入り以降本土側勢力の侵略を正当化するという文脈で扱われている要素もあると指摘されますが伊波普猷の説は実証的なものであると評価されています。
他にも西にある中国華南地方の影響も大きく受けてたり色々な指摘がありますが、どれも当たっているのではないでしょうか。
要するにあらゆる地域と双方向的に交わることで発展したのが沖縄文化でその特徴として複合文化であるということです。
複合文化という視点は今の沖縄を見る上でも納得できるところがあると思います。
歴史的な中国や本土との関わりを経て独自に発展を遂げた現地の文化に加え今はアメリカとの関係もあります。
そういったものを全て取り込んで独自の文化を作り上げているのが今の沖縄だと思います。