思考の固定化を防ぐために
脳はよく使う部位の神経伝達がスムーズになる傾向にあるので、ついつい同じようなところばかり使ってしまうようになります。
これは無駄なエネルギーを使わないようにするための体の防御反応的な側面もあります。と言うのも、いちいち通勤や通学のルートを辿るのに大きなエネルギーを使うと無駄が多いので、こうしたよく使う回路は自動化されてエネルギーの無駄使いを避ける訳です。
しかしながら、同じところばかり使っていると今度は思考が固定してしまいます。物事を処理するときに脳の同じ回路ばかり使っていると同じような結果に至ります。まあ当たり前ですが。。
これは確かに省エネにはなりますが、人間的に成長しているかどうかという視点で考えると全くそうはなっていません。思考の幅を広げていくには同じ回路ばかりでなく、他の回路も使えるように頭に刺激を入れないといけません。特に歳を重ねると新しいことに取り組むのが億劫になってくるので、余計に意識して頭を使うようにする必要があると思います。
そこで、僕が普段意識しているのが”越境学習”という概念です。この言葉はいろいろな捉え方ができると思いますが、僕の場合は二つの意味で捉えています。まず一つ目が『全く違う領域の学問に取り組む』ということです。
取り組んでいることを明確には分けにくいのですが、今現在はざっくりと語学、歴史、経営、医学の四つに分けることができます。
これらそれぞれについて実践で使うアウトプットを前提とした学習スタイルで日々向き合っています。全く違ったジャンルを行き来することで、違った視点に気がついたり、違うと思うものにも共通項があったりと思考を揺さぶるには良い刺激になっていると思います。
そしてもう一つの意味での”越境学習”として『自分と違う意見に触れてみる』ことも意識しています。とはいえこれは相当疲れるのでなかなか積極的にとはいかないのが正直なところではありますが。。
自分と意見の合う人たちと話をするのは楽しいですが、実はこれは自分の考えを確認しているだけで、視野が広がっているとは言えません。視野を広げるには自分と違った考えに触れ、モヤモヤした違和感を持ち帰ってそれと向き合う必要があるのでは?と思います。これは決して楽しい作業ではありません。自分と違う意見に触れるのですから当然ですが。しかし自分一人では決して思いつかない視点に気がつくことができます。
そもそも世の中の事柄は、全く正反対の意見や考えも含め雑多な事象が混ざり合ったまま進んでいくのが普通だと思います。白黒はっきりさせることはできず、何が正解というのはなく、色々なものがごちゃ混ぜになったまま、いわばパラドックスを内包したまま物事が進むのが通常です。こうした状態に適応していくためには、固定化しない思考を持ち続けることが必要だと考えています。