siro

昔私が中学生の時、まだ世の中の携帯電話がガラケーだった頃、ネットサーフィンで色んなサイトを見て回っていた。その頃に出会った創作GLテキストサイトが『siro』だった。
その頃から私は百合所謂、ガールズラブが好きだったが、siroは一次創作のGLサイトだった。
もう何もかもが好みだった。文もイラストも。私という人格が育った場所だとも言える。イラストも綺麗で繊細で可愛かった。そのサイトでは少女のガールズラブを取り扱っていて、そのテキストやイラストに出てくる少女たちはいつだって今を生きていた。まさに青春だった。子供心に思った。このサイトを世に知らしめたいと。漫画やアニメ化したい。映画化したいと。そしたら絶対ヒットするのにと。こんなに素晴らしいものがあるのに世の中にはその存在を知らずに生きている人がいて、それがとても残念で勿体なく思った。素晴らしいものは多くの人に知ってほしい。でもそんな素晴らしいものを世の中の大半は知らない中、私だけが知っているという事実は、私にとって誇りであり帰りたい場所の一つであった。siroを知っているという事実は、私に自信をくれた。不思議で温かい場所だった。

中学で知ったネットという架空の場所。現実ともう一つの世界。自分が今いるリアルの世界とは別のもう一つの世界。顔も名前も知らない人々が沢山いて、それぞれが自分の好きなものを表現し掲示する場所。そんな名前も知らない人の描く文章と絵が好きだった。そのsiroの管理人さんは私より大人で社会人だったように思う。それは私の推測でしかないけれど、サイトの日記から読み取るに自分とは違い学生ではないことを知った。

知らない大人だった。学校で関わる先生とは違う大人。両親とも違う大人。見知らぬ大人。
そのことが私をワクワクさせたし、サイトの更新履歴とか書かれている日記に出る、音楽ライブやその人の好きなアーティストの話が出る度、私は知らない世界を覗いているようでとても眩しかった。私にはまだ知らない世界があって、その人はその世界を知ってるんだ。ライブいいなあとか思いながら。とてもキラキラで眩しかった。遠くにあるものだけが輝いて見える。自分にはまだ手の届かない大人の世界。それに私はひどく憧れたし、大人というものが未知の存在だった。子どもと大人ってなんなんだろうと。私はちゃんとした大人になれるのか不安だった時期。


でもそんな時でもsiroは私の世界にあった。日常の一部であり、小説やイラストが更新される度にワクワクして、日々の活力であり私の楽しみだったのだ。
サイトの拍手ボタンで感想やコメントを送り、その返信が来た時の嬉しさ。ネットで見知らぬ誰かと言葉のやり取りをする、その心地良さを初めて知った。顔も名前もどういった人なのかも詳しく知らない、分からない人だけど、それでもネットを通じて言葉のやり取りをする際、そこに温かなその人の温度があった。その人の言葉、その人の思考、その人の人柄がその言葉には滲み出ていた。その瞬間とてもあったかい気持ちになる。見知らぬ他人だった人が、身近にリアルに感じられる瞬間。私と同じ人間で今この地球に同じ時代、同じ時を生きているという奇跡は、とても不思議でとても嬉しく、とても幸せなことだった。


そのsiroと共に過ごしてきた日々を私は忘れない。10年経っても20年経っても、この先ずっと忘れることはないだろう。私にとっての青春だったから。慣れない学校生活、中学のいう新しい環境とのし掛かる勉強と人間関係。私はいっぱいいっぱいだった。今を懸命に生きてた。あの頃何を言われようともあれが私の精一杯で、運動音痴で体育で5段階評価で毎回成績1取っていた私。勉強で分からないことが当たり前で授業についていけない日々。班で向かい合って給食を食べる時の、視線をどこに向けていいのか分からず、戸惑う日々と食べきれず残す給食。それから高校に進学しお弁当を一人で、姉と二人で食べる日々になっても。変わらずsiroは存在し続けていた。私の生活に、私の日常に。


どんなに孤独でも、一人だと感じても携帯を開きアクセスすれば、そこにはいつもsiroがいた。私の大好きな青春、かけがえのないもの。
私の知らない音楽が、世界がそこにはあったから。誰かを想うときの胸の痛み、切なさ、悲しいという気持ち。大好きでワクワクするような気持ち。愛しくて堪らない気持ちもぜんぶ、ここで知ったんだ。あの時siroに出会っていなければ、今の私は居ないと思う。きっと別の違う人間になっていたに違いないと、無根拠ながらに思うんだ。

私に好きなものを教えてくれた、沢山の好きという気持ちを教えてくれた。キラキラで眩しく輝く青春。私の世界を広げてくれた。だから今の私がいるんだ。ありがとう。私はあれから大人になって仕事というものをしているよ。当時思っていたようなちゃんとした大人にはきっとなっていないだろうけど、それなりに幸せを感じて生きているよ。だから中学の私、心配しないでね。
siroの住人が生きている。サイトが閉鎖した高2から時が幾年も経っても。変わらずに私の中で生き続けている。消えることはない、一生。siroは私の全てだった。そう言ってしまいたいくらい、好きだった。愛していた。なくなるのはとても寂しいことで、でもだからこそ私の胸にいつまでも変わらず、永遠に閉じ込めておくことができた。
これを愛と呼ばずになんと呼ぶのか、私には分からない。
いつまでも脳に瞼にこびりついている。焼きついつ離れないそのキャラクターたちは、変わらずにそれぞれの日々を生きている。きっとこの先も私と共に生きていく。それぞれの人生を、それぞれの場所で。ふとした時に力をくれるのはいつだって君だったね。

これからも生きて。全力で今を生きろ。その先に何が待っていても、きっと未来は明るいよ。
幸せは途切れながらも続くのです。



ガールズラブ、所謂百合を知ったのは中学だったがGLがガールズラブというのは知っており、それが百合と言われるのは知っていても、その百合という漢字の読み方が当時の私には分からなくて、百合をひゃくごう、と読んでいた(!)
ひゃくごうじゃなくてよかったね、ゆりの方が可愛くていい響きだね!


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