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東京と私と記憶について

 思い立ったが吉日。2024年3月上京しようと決意しわずか3ヶ月後の6月に、私は23歳と6ヶ月過ごした福島を離れた。別れはあっさりとしたものだった。母と弟はいつも通り出勤し、2匹の飼い猫はアンモナイトのように丸まりながら眠り、私を見送ることはなかった。でも不思議と寂しくはなかった。母も弟も猫のような人だから、本当は私を心配していることも、寂しがっていることも私には伝わっていた。家族全員不器用な人なのだ。
 タクシー運転手にどこに行くのかと聞かれ、地元の駅名を言った後「東京です」と言っていた。上京するんです。
 「帰ってこいよ」
 初対面の初老の男性ドライバーは耳慣れた方言訛りでそう言った。初対面なのに。
 見慣れすぎて、飽き飽きしていた街の景色が、なぜかもう懐かしく感じて、泣き出しそうになっていた。駅の改札を通ろうとした時、後ろから呼び止められた。先ほどのタクシー運転手だった。
 「これ、ごめんね。間違ってた」
 運転手が差し出してきたのは千円札だった。お釣りの金額が間違っていたようだ。気が付きもしなかった私は礼を言い改札を通った。
 「いってらっしゃい、気をつけて」
 私の上京を見送るのはその運転手一人となった。
 電車の車窓から見えるのは、青々とした緑の小さな苗が風を受け揺れる姿と曇りのない空。23年の年月を思い、見知った土地を見送っていく。
 23年は長いようだけど、これから過ごす年月はもっと長いのだ。この福島の土地であった本当に様々な出来事を思い出し、よくここまで成長したものだと思う。
 多感な子供だった。常に感情や思考に内面を振り回され、外面だけは立派な子供になっていた。相手が喜ぶことを察し、考え、行動し、内面を悟られないように、自分という人間がつまらなく、残念な人物でないように振る舞った。自分自身が分からなくなり、文学や音楽に傾倒し、しかし友人と話すときはそんなものはまるで興味がなく、気になるのはテレビやドラマの話、流行のものであるように話した。自分自身が何をしたいのか分からなかった。けれど一番興味のあるものは自分自身だった。自分について考え、常に私はもう一人の自分の感情と対話のように接していた。泣いていれば、そいつは私に「自分が可哀想で、そんな可哀想な自分が好きなんだろう」と言ってきたし、喜んでいれば「何が楽しいんだ」と聞いてきたし、幸せなときはそれが壊れる情景を見せてきた。常に厭世的で俯瞰したそいつは私の中で厄介だったが、私は同時に自分のことを愛してもいた。だから余計に妙なプライドを持った面倒臭いやつだった。内面は。
 太宰治の「道化の華」が気に入って、私は道化なのだ。道化のようにこの社会をうまく流して本当の自分はもっとすごいやつなのだ。こんなにも、色々なことを思考し続けているのに表ではこんなにも社交的なのだから、などと思ってもいた。江戸川乱歩の「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」という言葉も気にいって、本当の自分はこんなものじゃないと誰に言うわけでもなく自分でそう思っていた。それらはただの厨二病で現実逃避のようなものだが当時学生の私は言われようも無い漠然とした不安や将来へのストレスをそのような方法で抑圧していたのだろうと思う。大嫌いな自分を大好きにするために。大好きな自分が、格好悪い所なんて無いように。
 そうした誰からも見られることも知られる事もない、個人的な謎の努力のおかげで教師からの評判はとても良く内申点は高かったし、大人たちからは褒められないなんてことはなかった。ただ、あなたなら大丈夫、何も心配いらない、と言われることが多くなり、絶対に失敗してはダメだというプレッシャーも抱くようにはなった。結局一度も大きな失敗をした事が無いまま大人になった。面接も落ちたことは今まで一度もない。外面がいいというだけなのだが。
 流石にもう昔のような自意識だけが膨れ上がった厭世的なウェルテル期は終わったが、やはり染みついた人間性は中々抜けない。自分が出来ない、と言う経験をしてこなかった人間は自分の評価と言うものを異様に気にするものだ。全然出来ていないわけでもないのにほんの少しのミス(誰も気にしない、気が付かないような)で嫌われていないか内心ヒヤヒヤしていたり、もう自分はダメなのだとなぜか思ってしまったりする。
 小心者なのだ。
 新幹線で少し眠り、着いた東京の地。
 人の多さと音の多さは比例する。どこが本当の地面かも分からない東京の地面を踏む。濁った空気を吸う。
 誰もが生き急いだように早足で通り過ぎていく。憧れの東京。魅せられた東京。
 私は一つ一つ、この新鮮な感情が廃れて忘れ去られる事のないように脳裏にこびり付かせた。
 今日から日記を書こう。
 そう決めて、上京の一歩を踏み出した。


 私は忘れてしまうことが多い。だから上京してから一日も欠かさず、東京の日々を忘れないように記録してきた。
 その記録も溜まってきたので、どうせならエッセイとして残したいと今日初めてnoteをダウンロードし、これを書いている。東京は面白い。
 私の感情と一緒に、私の見てきた東京を感じていただけたら幸いである。
 時系列はバラバラになることもあるだろう。
 今日はこんな口調で書いているが、もっとふざけた日もあるかもしれない。なんとなくで楽しんでいってください。

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