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#3 ひとりを超えてゆけ
早速謝らなければいけない。今回、幼少期の価値観形成の話をしようと前振りをしていたが、それはまた別の機会とさせて頂く事とする。
今日は、物語の鍵となる人物との重要な出来事が控えていた。
僕の原点を知る前に、現在進行形の物語を覗いて欲しい。
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2021.07.18
陽炎。鮮やかな青。濃く映る影。
二日連続の真夏日だ。急な夏の訪れにまだ慣れない中、僕は渋谷の街に立っている。
一年前の夏。とある用事で渋谷に足を運ぶ機会があったが、陽炎がスクランブル交差点から見えた記憶がある。緊急事態宣言による、ごった返した人の往来がなくなった事による景色といえる。得体の知れない死に至る病原菌に人間が手も足も出せなかった時期だった。取れる対応は自粛一色だった。
しかし、今年は事情が違った。今も変わらずコロナ禍により緊急事態宣言が発令されているが、昨年とは対照的に、新型コロナウィルスが台頭していなかったかつての人の往来がある。そこには、ある程度ウィルスの全容が見えてきた事による「得体の知れないものへの恐怖」が和らいだ事、自粛による人々の心の限界が来つつある事が影響しているのだろう。昨年とは異なり、少々規制が和らいでいるのは、経済と国民の精神状態のバランスを取ろうとしているのだろう。病気でも人は死ぬが、自粛をさせ続ける事による、経営難、人付き合い悪化、家計圧迫などでも人は死ぬ。その往来に目を向けると、さすが渋谷だ。10代の若者で溢れかえっている。若さが眩しい歳になった。
目を擦り歩きながらそんな事をぼんやり考えていた。今も、ただただ、買い物に来ているだけで、彼らのように遊びの予定があって来ている訳ではなかった。正確には今日の夜、千葉で起こる一大イベントの為に備えるべく、買い物をしたかった。
備えるべきイベントがある。それは間違いないが、僕は寝不足だった。今日のことを考えて、つい夜更かししてしまったのだ。今までの事、これからのことを考えると、心がはち切れそうだった。ロフトベッド横に取り付けた豆電球も早めに消灯して寝ようと試みたが、脳の真ん中が地に足つけず、それを理性でどうこうしようとしても、難しかった。
僕には付き合っている彼女がいる。もう半年も会っていない彼女だ。
どこで何をしているかは承知している。
会えない距離の場所で頑張っているのだ。その場所と期間。
スウェーデン。
二年間。
そう。あまりに遠く、あまりに長い。
彼女はコロナ禍をスウェーデンで直面した。そして日本人が自粛に耐えかね、ワクチンが接種可能となるいわばある種の区切りを目前とするこの時期に及ぶまで在住していた。アホみたいな距離、時差7時間の昼夜逆転の環境に身を置いていた。
そんな彼女と再開するのだ。誰からも邪魔させない2021年最大の喜びだ。
最大の転機と最大の喜びが同時に訪れるとは、どんな運命的な話だろう。否、僕は必然と考えている。恋愛の観点からしても転機と向き合うタイミングとしては最適だろう。
そんな再開を目前にし、夜 感傷的になり眠れなくなったのだ。避暑の為に入ったカフェでふと振り返ってしまう。
僕にとって特別な夜にだった。喜びだけではない。彼女がスウェーデンにいる間はお互いにとって辛く苦しい事も多かった。故に生じる不安感もある。
何故だろう。貰ったことしかないタバコを買おうと思った。コンビニでの買い方もわからない僕は、「タバコ コンビニ 頼み方」と検索してみる事ができたサイトに書いてあった「マルボロ ライト メンソール」を頼んだ。
我が寮は寂れた十数人が入居できる程度のマンションだが、現在数人しか利用しておらず、管理人がいる訳でもないので、いい暮らしを望まなければある程度快適な環境だった。そして、どうやら屋上に行けるようだった。一平ちゃんにお湯を入れ、お気に入りのスピーカーと三脚、からしマヨ、そしてタバコとライターを持って屋上に行ってみた。
柵を超えて屋上に出てみたが、案の定冷却塔以外には何も置いていない。
ちょうど座れるスペースがあったので、コムドットの動画を見ながら一平ちゃんを啜る。やはりからしマヨはかければかけるだけうまい。そして、火を付ける。酒の後のタバコは沁みた。うまいものなのかと初めて知った。
刹那、想いが溢れかえってきた。僕は慟哭した。
よくぞ、よくぞ耐えた。これで前に進める。人間に戻れる。
辛かったのか。そうか。蓋をしていたのか。自分の気持ちに。
今の会社が辛い、遊びまわりたい、頼れる人がいないけど進み続けなくてはいけない。愚痴を聞いて欲しい。これら全ての気持ちに蓋をしたのだろう。
これからは蓋をする必要がない。蓋をしていた全ての気持ちに対して受け止めてくれる人がいる。人間はある程度の依存がないと生きていけないものだ。僕にとってはその先を彼女に求めていたのだろう。
明日があまりに楽しみだ。タバコを燻らせた屋上での夜。この日の気持ちは忘れる事がないだろう。