#12 個性
8月12日
小雨のお盆だった。
今日は1ヶ月前から予約をしていた場所に行く。ずっと気になっていたことを診てもらう予定だ。
ずばり、精神病院だ。僕は僕のことをADHDだと思っている。
初めてそう感じたのは最近で、それまでの人生では忘れっぽい程度で、ADHDを意識したことはなかった。
しかし、2020年2月に部のメイン顧客を任され、日々がとてつもなく忙しくなってから強く感じるようになった。
僕は専門商社に勤めている。お客様が必要なものを国内外から調達する仕事と、代理店契約をしている仕事がある。業界の性質上、受注活動時や受注後に常に技術的見解の回答や資料提出が必要で、それらに全て納期がある。自分がしない仕事を含め何十に及ぶ納期管理をする必要がある。僕はこれがどうやら苦手で、優先順位を明確にできずそれが主な仕事となってしまうと漏れが出てしまう。
最近特に、「あれは確認した?」「いつまで納期のフォローはした?」こういったことへの漏れが散見されるようになった。ひどい時にはその漏れのせいで、手配が遅れて納期遅延を起こしてしまいかねない事態に発展した。
課長からの指摘も増えるようになる。何故これを忘れてしまうのか分からない。これが繰り返されると、課でも呆れられているような雰囲気が流れる。この雰囲気が心を着実に蝕んでいく。なんせ、僕の先輩、上司はこの何十もの納期管理を平気な顔でやっているからだ。加えてうまくハンドリングするよう潤滑油的な立ち回りもしている。これはある程度裕度がないと出来ないことだと思うが、僕にはその余裕どころか与えれた納期管理もろくに出来ない。
「人とは違うんだ。何が違うんだろう。」こう感じている中、ふとYOUTUBEでコムドットの動画でADHDの話題が取り上げられていた。
ゆうまというメンバーがもしかしたらそうなのかも知れない、と簡単なチェックリストに答えて会話するという動画だった。彼はリストのほとんどに当てはまっていた。僕もほとんどが当てはまるし、そうなのかもしれない。
ネットで軽く調べると、軽度のADHDというのも存在するようだ。社会位に出る能力はあるが、場合によっては障害をもたらす程度の「軽度な」ADHD。
僕もそうなのではないか、2021年初め頃から特にそう感じ始めた。
#6で触れているが、僕は現在仕事でクレーム対応に追われまくっている(翌日までに資料を作る為、メーカに相談して、結果を踏まえ資料を作成、課長に相談した上でお客様と会話し資料を修正していく)。その中で日々の業務をこなさなければいけない状況は確認漏れに拍車をかける。たとえば、#7で飛び立った滋賀旅行初日では、自分で作り出したメーカとメーカのコラボ案件が、一点の確認漏れによりお客様から問い合わせが入り課長や支店長に対応を強いる事になっていた。
苦しい。またミスをした。また意図を汲めていない、さっきいったでしょ、という指摘を受ける。そんな状況が何ヶ月も続いていた為、精神科にかかる事にしたのだ。
僕が生来障害を抱えているとはっきりわかれば対策は取りやすいし、それ以外に躁鬱病などになっているならば会社を休めばいい。健常者だとわかるならばそれはそれでスッキリするだろうと考え、予約していたのだった。
とはいえ、前日には行くこと自体も悩んでいた。仕事が山積している中でそんなことをしている暇があるのだろうか。そう思った。
そう思ったところで、ふと我に帰った。この思考は死ぬと気づいたのだ。YOASOBIの小説で主人公がタナトスに導かれていったように、これは死に向かって歩む思考回路だ。危ないところだった。どんどん心が追い込まれていくスパイラルにハマっている事に気づいた。自分はダメだ、辛い。けど仕事が溜まるから休めない。この思考で行き着く先は自殺だ。つまり、いかない選択をすればするほど死に近づいていくのだ。上記太字部分の考え方は自分を傷つける道に進ませてしまいがちなので皆さんも頭の片隅に置いて欲しい。
こうして今日行かなくていいかもしれないという葛藤に打ち勝ち、午前中から小雨に振られながら自転車で病院に向かった。
驚いた。5分も経たないうちに病院に到着した。こんなに近いところに広い病院があったのか。幾つも門があり、僕は西門から入って行った。青々しい木々が立ち並び、区の喧騒を忘れるような雰囲気だった。
中心の方に自転車を進め、見えてきたのは近代的な白い建物だった。自転車を止め、自動扉を進むとパートのおばちゃんが明るく初来院時の手続きを案内してくれた。精神病院であるので、こういう案内の方もプロ意識を持って少しでも来やすい場所にしようとしているように感じた。
諸手続きを終え、身長と体重と血圧を測る。何が関係があるのかはわからないが、とりあえず測ったが、なんと身長が伸びていた。朝だからだろうか。180cmを目指してもいい気がした。
精神科ならではかもしれないが、一度に二回診察を受けるようだ。予診と本診と言うらしい。何が違うかはよくわからなかった。
予診で現れたのは、小柄な黒髪の女性だった。歳は40前後だろうか。幼い頃は気が弱い子だったのかな、と思うようないで立ちだった。優しい心の持ち主なんだろうな、という印象を得た。
ひとしきり話した。会社に入って初めて感じた自分の障害の可能性。今思えばおかしいと思った昔のエピソード。幼稚園時、大体ぼーっとしているという理由でボーちゃんと名付けられたこと、友達のエピソードを覚えられないこと、雨の日に傘を持ち帰れたことがあまりないこと、大学時代ライブの運営のバイトで細かな忘れごとがあったことまで。訥々と伝えた。これで何かわかるのであればという思いでできる限り。これを答えたらADHDに判定されやすそうだな、といった事を極力思考の外側において、正直に答えた。
「色々聞かせて頂いて有難う御座います。では、この後 本診がありますのであちらのソファでお待ちください」
その後、現れたのは少し大柄の明るげな、短髪先生だった。先程の方とは随分対照的な印象だった。
本診では予診と似たような質問が幾つかあり、少し戸惑いながらもできるだけ真摯に答えていった。こういう相談では、ADHDと看做される場合、うつ病などの場合、全くの健常者の場合があるという。
5分ほど質問に答えた後、こう言われた。
「古川さんは何か精神病や障害があるとは看做されません。ADHDについては、境目が曖昧なので難しいところではありますが、薬を処方して処置していくようなレベルでは少なくともないので、ADHDという結果にはなりません。」
え。
僕だって、薬を処方しなければどうにもならないレベルとは思ってない。そうではない。世の中には、上記の通り軽度のADHDという言葉がある。彼ら、彼女らは日常に支障はないものの仕事で自覚するようになったと聞く。薬を処方してもらわないと日常が送れないわけではないだろう。明確なADHDと断言はできない、そんな逃げで良いのだろうか。精神科としてYESNOのクエスチョンにだけ答えればいいのだろうか。そう思って質問をしたが、
「私はそこまでする必要はないと思いますが、詳細は専門のチェックシートなど、精密に診断する方法もあります。お望みであれば次回以降受診することも可能ですよ」とのことだった。
多少憤慨したが、そうか…そういうものか。そう思わざるを得なかった。僕は生来明るく元気に周りと関係を持ってきたつもりで、今まで精神科にかかりたいと思ったことなど一度もない。
ADHDでないとして、どうしたらいいのだ。今になって僕は気付かなかった人との違いに気づいたんだ。ADHDじゃないとしたらどうしたらいいんだ。特に何も負っているわけではない。でも仕事には支障が出ている。仕事が積み重なると大事なことが見えなくなってあれこれ手をつけてしまうのだ。
もやっとしていた。ADHDではないことが分かればある程度すっきりするものかと思っていたが、そうではなかったようだ。
出口のない迷路のような閉塞感を感じた。どこに進めばいい?どうしたらいい?
閉塞感に襲われながら会計を待っていると、ふと予診を担当してくれた先生がスッと現れた。
「会計、まだですかね。少し、補足させてくださいませんか。」
「ではあちらで。」
会計を待つフロアの端にある数人用の丸テーブルに案内された。
ここから、僕の堰き止めていた感情が崩れ始める。精神科で出くわすとは予想だにしていなかった感情だった。
耳にスッと入ってくる声色だった。諭すような、囁くような。
「先生がADHDではないという言い方をさせて頂きました。それは間違っていないと思います。ADHDと呼ばれる人々は社会に出る事が出来ないような個性を抱えています。悪いことではありませんが、そういう人もいます。比べると、あなたはそこには当てはまらない。それは事実なので前向きに受け止めて頂ければ。」
「人間誰しもが得意な事と不得意なことがあります。球体でイメージして下さい。綺麗な球の人間なんていません。私も苦手なことからは逃げて生きています。凸と凹があって人間なんです。この考え方で言えば、でこぼこが人より極端に大きい状態の方はADHDと呼べるでしょうが、それも個性に過ぎないんです。」
「あなたの場合は、大量の納期管理とそのカバーという部分が少しだけ苦手なのかもしれません。それはその部分だけを見れば軽度のADHDと判定する事も出来るでしょうが、その凹みだけで人間は形成されないですから。」
「ただね。覚えておいて欲しいのは、人の凸凹は、固形ではありません。苦手な事を求められると、その部分がどんどん凹んでいくんです。あなたは、今そういう状態なのかもしれません。一時的に凹んでいるから、おかしいと思う事もあるのだと思います。そういう時はね、休むとか、環境を変えるとか、検討した方がいいかもしれません。
ああ…そうなのか。だからこんなに追い込まれているのか、辛いのか。
僕がなぜ辛いのか、すっと理解ができ、僕がダメな訳ではないんだ…と分かった瞬間に涙が溢れそうになった。
僕は、涙を堪え、堪え、必死に、ありがとうございます。心が楽になりました、と伝えた。
「よかったです。また何か心境に変化があったらいらしてもいいので。お大事に。」そう言って診察室に戻って行かれた。
スッと周りが明るくなった気がした。それは多分背筋が伸びて視線が上がったからだろう。ただ、安心と同時に抑えていた感情が溢れそうで仕方がなかった。ここでは泣かない、泣かない。そそくさと会計を完了させ、敷地を後にした。
雨はまだ降っている。「それならいっか。」
僕は自転車を漕ぎながら泣いた。少し堪えるようにしたが、それでも溢れて来た。
そうか。お前はそんなに辛かったのか。蓋をして見向きもしなかった感情は、蓋の下で思ったよりも増幅していた。
家で、彼女が家に帰らずに待ってくれていた。帰る間に涙を抑えていたが、表情でバレたようだ。ベッドからすぐに起き出し、ロフトベッドから降りて来てどうしたの?辛かったね、という。
もう抑えることはない。ここには僕と彼女の二人の世界だから、泣くだけ泣いた。辛かった。今後のことは、具体的に行動に起こしていかなくてはいけない。
最後に。いろいろなコンプレックスが人にはある。外見、内面問わずだ。同直圧力で成長して来た日本では人との違いがマイナス方向に働くことが多い。でも、本来はそうじゃない。それは個性なんだ。そういう理解をして欲しい。何かコンプレックスで悩む人は、この社会で生きづらいこともあるかも知れない。それは、貴方が悪いのではなく、生きづらい環境に身を置いてしまっているだけかも知れない。凹の部分を求められる環境に身を置いてませんか?違うところでは伸び伸びと暮らしていけたりするし仕事もしっかりできたり、するかも知れないよ。よく、環境を見直していて欲しい。
じゃあ。長くなってごめんね。
また次の動画で。ばーあーい!