どうすればよかったか?
■内容
両親は医師で研究者。面倒見がよく優秀だった姉は医学部に進学したが、ある日を境に奇声を発する等、統合失調症の症状が見え始める。
弟である藤野監督は、姉を精神科に連れて行こうとするが、両親は精神科医の過去の論文を否定するなど、あらゆる理由で受診を拒む。娘の病気を認めなかったのだ。そして玄関に南京錠をかけ、彼女を家の中にとじこめるようになる。
親との話し合いは平行線のまま。監督は自分の精神を守るため、就職とともに家を出る。
そして姉がいつか精神科を受診する時に医師に見せるための記録として、カメラを回し始める。姉、そして父、母に向き合い、家族を記録していく。やっと受診にたどり着いたのは、発症から25年後のことだった。
■感想
このタイトルと同じことをずっと考えている。
映画の途中でお姉さんががんで亡くなるシーンで泣いているお客さんがいたけど、私は上映が終わって、舞台挨拶に登壇する監督の姿を見た瞬間にぐっときた。監督の目を見て、一言も取りこぼすまいと真剣に聞いた舞台挨拶だった。「受け入れがたい事実に直面したとき、なかったことにするか、受け入れようとするかがテーマ」とおっしゃっていた。
いつか自分にも降りかかった時、ちゃんと向き合えるだろうか。
少なくとも監督は家族と本音で向き合った。
お姉さんは元来綺麗な顔立ちで、あったはずの違う未来を思わずにはいられない。
治療を受けた途端、表情も穏やかになり、誰が見てもわかるほど効果は歴然だった。でも、もう60歳近くだったと思う。なんでもっと早く、と思わずにはいられない。
最後、棺に論文を入れたり、喪主の挨拶で「娘はある意味幸せな人生だった」と話してしまえる父親を少し怖く感じた。けれど、娘の幸せを思っての行動だからこそできてしまうんだろうな。
何より、これは物凄く貴重な、人間たちの記録だと感じた。さらけ出して発表してくださった監督に感謝したい。