満月付近はもやもやする・・・?
いろいろと思うことがあり、これまでのである調(論文調)からですます調に変えようと思います。
実況の時もですます調だし、こういう文章は、語り掛けるように書きたいので。
前置きはこの辺にしておき、タイトルについて。
私自身としての自覚は、指摘されるまで全くなかったのですが、私はかなり感性が強いようです。
人の気持ちや感情の動きを感覚的に理解してしまう性質があるというか、そのような体質の人間の様です。
なんせ、感覚の部分はなかなか他人と比べたりもできないので、ついつい自分がスタンダードになってしまうのですが、偶然友人と飲みながら込み入った話をしていた時に、「相手の感情や気持ちをそこまで感じ取ってしんどくないの?」と言われたことで発覚しました。
自分としてはそれが普通だったけど、確かにしんどい時も多々あって。
そして、こういう体質だとしんどいのは、月の影響を強く受けてしまうことも含みます。
月の満ち欠けと生き物の体は同調していると言っても過言ではないくらいの影響を受けています。これについては、体感的なものだけでなく、様々なデータもありますので、気になる方は調べてみてください。
単純に月の引力の影響という面でも、満月と新月では違いはあるのでしょうし、それに合わせて精神の変化があってもおかしくないんだろうなと漠然と確信しています。
そして、奇しくも明日は満月。
一昨日くらいから何か落ち着かないというか、ふわふわするというか、もやもやするというか、そんな感じだったので、気になって月齢を調べてみたら明日が満月だと知って納得しました。
果たして、この感覚がどれほどの人と共感できるものなのかは分かりませんが、そういう人もいるというお話をしたくて・・・というわけではなく、実はここまでが前段となります。
そういう影響を特に受ける時期だったことも相まって、ちょっといろいろ爆発しかけているというお話です。
”「PTA改革」のため役員に志願したら、いきなり「排除」された42歳母親の怒り”
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/88326
たまたまTwitterのトレンドで見つけたこの記事を読んでいて、心がすごく反応しました。
この記事の中では、PTAの前例踏襲主義について触れられていますが、多くの場面で、この「前例踏襲」が行われていると感じています。
「前例踏襲」とは、前にあった出来事をそのままやるということなのですが、私はそれにすごく疑問を感じるのです。
私はもうすぐ誕生日を迎え、また一つ歳をとります。去年の今頃よりも変わった部分もあるし、同じような部分もあります。
そう、同じような、であり、同じ、ではないのです。
時間の流れはいつも止まることはなく、絶えまなく変化を生んでいます。
私たちはその変化の中で、歳を重ねながら生きています。
つまり前例というのは、前例でしかなく、今という時間から見ればすでに過去のものと私は思うのです。
前例を参考に今にあったものを、というのであれば、十分に理解できるのですが、何も変えずに、何の検討もせずに、「去年もこうだったから」「前からそうだから」という理由で、同じやり方をするのはどうなのでしょう。
私が一番苦手であり、言われるとすごく残念な気持ちになるのが、「前例がないから」という言葉。では、いろんなことを一番最初にやった人はいったい何なんだと。
前例は前例でしかなく、常に私たちの前には前例のない時間があるのに、なぜ前例の有無を根拠にするのか、私は理解に苦しみます。
人間とは怖いもので、時間は前にしか進まないのに、過去に経験したことに対しては、同じことが起こるような感覚をもち、そこに安心感を覚えたりもします。
ただ、私はひねくれているのかもしれませんが、同じことが同じように起こるかどうかは分からないと考えているので、経験とは、そこに在る可能性を見えなくするものでもあるとも考えています。
ここ最近の異常気象を見ていても、それはあくまでも前年と比べてのことなのだと思います。同じことは起こらないという風に考えると、異常か正常化の判断基準はなくなります。
そうすると分からないことだらけになるのですが、この”分からない”という状況こそ、大人になる過程で忘れていってしまう、わくわくするという感覚を生むものなのではないでしょうか。
こうして考えると、前例にこだわるせいで、わくわく感を失い、凝り固まった社会になっていっているという風に私は感じるのです。
もやもやの勢いに任せて書いていたのですが、書いているうちに大分収まってしまいました。
ただ、今を生きるということが未来を作ることであることは覚えておいてほしいと思います。
今を過去にすることも、過去と同じになることも時間が遡らない限りあり得ません。だったら、みんながわくわくする未来を描きたいものですね。