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【毎日日記】11月27日 大人のブルーハーツ 

僕、ブルーハーツが好きだ。
導火線に火がついたのは、生まれる前ではなく、中学生のころ。
生意気なガキだった当時から現在に至るまで、
同じ味の「チューインガム」を噛み続けるように何度も何度も繰り返し聴いている。
中途ハンパな気持ちじゃなくて本当に心から好きなんだ。

本棚に設けたブルーハーツのコーナー。
壁にも。写真は博士からお借りしている
20年前の甲本ヒロトと水道橋博士。


学生時代を思い出す起爆装置、まさしく「少年の詩」という「イメージ」を抱いていた僕にとって、タイトルにある【大人の】という言葉が引っかかり、本書を手に取った。

彼らの曲は、当時の何を歌っていたのか。今の何を歌っているのか。そして大人になった僕らに、何を突きつけるのか。令和の今、厳選32曲を改めて読み解く。最期まで、全力で駆け抜けるために。「弱い者達が夕暮れさらに弱い者をたたく」「夕刊フジを読みながら 老いぼれてくのはゴメンだ」「生まれたからには生きてやる」――彼らの言葉に、今も胸が震えるなら、僕らはまだ大丈夫だ。


『大人のブルーハーツ』とは、「大人になった私たちが、今あらためて読むブルーハーツ」という意味です。 -本文引用-

著者のスージー鈴木さんは1966年生まれでブルーハーツをリアルタイムで聴いていた、ブラウン管の向こう側に観ていた世代。
対して22歳の僕は、学生時代から聴き続けてはいたものの、リアルタイムでは聞けていないし当時の時代背景もよく知らない。

しかし、本書の中でスージー鈴木さんはそんな僕らを「大人」になりたての「令和のブルーハーツ」予備軍という表現で想定読者の中に組み込んでくださっている。

僕にとってのブルーハーツがそうであったように、本書もまた、右も左も分からない僕ら「旅人」にとっての「ナビゲーター」としての役割を果たしてくれている。

ああ、この本、やさしいから好きなんだ。





「大人のブルーハーツ」を読み終えたまさにその日、あの幻の名著「さよならブルーハーツ」の復刊を記念して、著者•外山恒一さんと水道橋博士の対談が決定した。

思春期でブルーハーツと出会い、大人になっていき、そしていつかはさよならしなくてはならないなんて。

「さよならだけが人生だ」という井伏鱒二の名言があるが、その言葉に寺山修司はこう返していた。
「さよならだけが人生ならばまた来る春はなんだろう」
青い春には終わりが来ても、青い心を持ち続けることはできる、春を思い続けることはできる。
黄色い声援が聞こえなくなっても、青い声で歌い続けることはできる。
終わらない歌をうたおう 僕や君や彼等のため
終わらない歌をうたおう 明日には笑えるように

さよならに完全版があるのなら手の振り方を教えてほしい

終わらない歌は2分と30秒超えたあたりでラスサビの歌
(きまぐれ短歌)

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