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【毎日日記】12月8日 本のことしか語らないで ゲスト•大槻ケンヂさん

水道橋博士の座•対談【本のことしか語らないで】ゲスト•大槻ケンヂさん
僕もアシスタントして出演させていただけることになっていたので、大槻さんの著書、解説文、出演番組、大槻さんが本の中で紹介されていた書籍など、改めてありとあらゆるものを読んだり見たり聴いたりしてイベントに備えた。

特にこの3、4日はほぼ大槻さんのことしか考えていなかった。
だが、客席にはそれよりもずっと前から大槻さんのことを想い続けているファンの方々が大勢いらっしゃるので、前に出過ぎることなく、あくまでも配信のコメントを拾いながらの進行に努めようと思った。

最終進行確認。

13時30分 イベント開始

ブルーハーツを聴き続けていた16歳の頃、タイトルに惹かれて買った大槻ケンヂさん著「リンダリンダラバーソール」を読んで衝撃を受け、筋肉少女帯を聴き始めた自分の目の前に今大槻さんが…と込み上げるものがあったが、ぐっと呑み込んで
進行に徹する。

「本のことしか語らないで」というイベントではあったが、大槻さんと博士のマニアックな映画話が盛り上がり「映画のことしか語らないで」のイベントへと変貌を遂げていた。

僕は映画について全く詳しくなく、ここ数日の事前準備はすべて「本」のことだけだったので映画の話にはついていけなかったが、新たな知識として興味深く拝聴していた。
本の話でいうと、大槻さんは早川義夫著「ぼくは本屋のおやじさん」の文庫解説の中でこう書かれている。

若いころ、本屋さんになりたいと思ったことがあった。
好きな本だけ集めた小さな、早川義夫さん風に言うなら「たばこ屋兼本屋みたいな」「猫でも抱いて一日中坐っていれば、毎日が過ぎていくような、そんなのどかな」店を持って早く「おじいさんになれたら」と思っていたことがあった。
早川さんは二十三歳の時にそう考えたそうだ。僕は二十四歳の時であった。

解説 僕が本屋のおやじにならなかった理由 

※なぜ大槻さんが本屋のおやじにならなかったのかについては、実際に本書を手にとって確認してみてください。

大槻さんは二十四歳のときに本屋になりたいと思ったことがあるらしい。
僕は二十二歳の時であった。
そして実際に「古本興業」という屋号で、歌人の枡野浩一さんが南阿佐ヶ谷に構える「枡野書店」をお借りして本屋を始めた。
だが、僕には店舗を持って本屋を運営していくことはあまり向いていないと思った。
そして今はトランクに本を詰めて銭湯の軒先で本を売る移動式の本屋に切り替えた。
これなら好きな時に、ある程度好きな場所で、他に仕事を持っていても運営可能だからだ。
そのことを直接大槻さんにお伝えすることができた。

そこから、人と人との出会いの話、映画の話がもう一度盛り上がったところで、学生時代「大槻ケンヂのオールナイトニッポン」のヘビーリスナーで「イングリティ佐野」というラジオネームでハガキ職人をしていたという映画パーソナリティのコトブキツカサさんがサプライズゲストとして登壇。

コトブキさんは、大槻ケンヂのオールナイトニッポンでハガキが読まれたことをきっかけにラジオの世界に興味を持ち、映画パーソナリティの傍ら、現在6本のラジオ番組を担当されている。

コトブキさんの大槻さんとの思い出話、出会いの話に会場も大盛り上がり。

その後、熱烈な大槻ケンヂさんのファンで大槻ケンヂ著「のほほん日記ソリッド」の解説も書かれている作家の雨宮処凛さん、筋肉少女帯の「サーチライト」という曲をリスペクトして社名を名付けた、「鬱の本」を刊行されている「点滅社」の屋良さんも出会いに照れずにお話ししてくださった。

イベント終了後、大槻さんに「若林凌駕君とは気が合う気がする」「2人で呑みに行きたい」「僕も人見知りだから、人見知りの子が好きなんだ」と
おっしゃっていただけてとても嬉しかった。

そして、水道橋博士の座右の銘「出会いに照れるな」は改めていい言葉だと思った。
今回、博士のおかげで僕もアシスタントとして出演が決まり、コトブキさんも積年の思いを直接大槻さんにお伝えすることができた。

今まで漫才や文章の中で巧みに言葉を「掛ける」姿をお見受けしていたが、人との出会いも仲立ちするなんてそれはもう、栄光の「架け橋博士」じゃないか。

地元の宮古島を離れ、大阪の吉本に入り、フリーになって上京した。
人生はグミ•チョコレート・パインのように進んでいき、これからも橋はどんどんと伸びていく、
次はどんな出会いと繋がるのだろう。
不用心で迂闊な性格なので、石橋を叩いて渡ることを忘れないようにしたい。

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