頭脳とは何かを深堀してみよう
頭脳は肉体の構成因子のための器官
多くの人は頭脳を頼りにして生きています。頭脳中心の人生を送っています。確かに、頭脳は重要な部位ですが、実は、頭脳はヒトのために存在しているわけではありません。ここを理解できるか否かがポイントになります。
頭脳を支えているのは、肉体の各臓器であったり、細胞群、細菌群であったりします。彼らが発信した情報を整理分類して再発信するのが頭脳の役割なのです。
つまり、頭脳は肉体の構成因子のために存在している器官であり、決してヒトのために存在しているわけではありません。ヒトは、ただ、肉体の運営に携わっている部外者にすぎません。
各臓器などは、ヒトとは関係なく、自身の世界を構築しています。各臓器などは肉体内の独立国家なのです。だから、臓器移植を受けた人が、その臓器が持つ個性や趣向によって影響を受け、移植されたヒトの好みや考え方が変わってきたりします。
肉体イコール自分自身ではなく、ヒトは、ただの運営者にすぎないのです。
だから、ヒトが脳死によって死を宣告されても、特定の環境下では肉体は1年以上生き続けます。肉体はヒトとの関係を失っても、勝手に生きてゆける独立した生命体ともいえます。
リチャード・ドーキンスが「肉はDNAが乗る船にすぎない」という利己的遺伝子説を発表したように、肉はヒトの所有物ではなく、各臓器などが乗る船なのです。ヒトはその船に寄生しているだけにすぎないのです。
こうした認識を以て「頭脳」を解析してゆくと、ヒトが頭脳に対してどれだけ多くの誤解を持っているかがよく分かってきます。
頭脳はデータの保管庫
例えば、頭脳の最大の特性はデータの集積に見い出されます。そう、頭脳はデータの保管庫なのです。それゆえ、多くの人が感じているのは「経験(積み重ねられたデータ)から類推された事実」にすぎず、「客観性を帯びた正しい経験」というものは存在しないということになります。
類推値を絶対値と誤解しているにすぎないのです。
ヒトの脳に「絶対値」を求めること自体が無法であるということです。ヒトが頭脳経由で認識しているのは、データとしての先入観であったり、データとしての他人の意見、データとしての状況判断であったりするのであり、「純粋な感覚、感性」というのは存在していません。
感じているのは、あくまで類推、推測、推定に基づくデータにすぎないのです。
だから、経験としてのデータがない事象に遭遇すると、「頭が空白になる」「頭が真っ白になる」というパニック現象が生じてしまいます。
従って、死についても、「データそのものが存在しない自分自身の死」を正しく把握することはできません。死が迫って来ても、ただ茫然と或いは漠然と「ああ死ぬんだな」という以上の実感は湧いてこない。
頭脳には予測機能が備わっている
例えば、あの車は私にぶつかるのだろうかとか、近づいてくる人は敵か味方か怪しい人なのかとかは予測の範囲に入れて行動しています。これは、ほぼ、意識できない、「脳がもたらす無意識の反応」にすぎません。
決して、自分が考えて判断しているわけではなく、頭脳による無意識の反応発信を受けて、自分自身がそのように感じているだけなのです。
ちなみに、ヒトの行動は、自分が意識してそうしょうと思う前に、既に、脳内において決定されています。
ヒトは「自分が考えて行動した」と思っても、実は、脳が決定したことに従っているだけなのです。
このように、脳の無意識の反応や決定を自分自身の考え方、感じ方と思っているから、「我々は未来を予知できる」とか、「我々は賢く立ち回ることができる」とか思ってしまいがちですが、誤りです。
脳は短期的に必ず訪れる起承転結を想定しているだけであって、想起していない事柄には対応できないようになっています。ここに、ヒトの頭脳の限界を見なければならない。
IQ信奉者の絶望的な無知
ちなみに、頭脳絶対主義者たちは、いまだにIQ(知能指数)を信仰しています。IQは、頭が良いとか悪いとか、人の能力を正しく反映しているものではなく、さらにいえば、「知能検査」の妥当性は、誰も検証できていないアバウトな話にすぎないのです。
そして、IQを深堀してゆくと、次のような驚くべき事実が分かってきます。
IQは生物幼体用の一時的な特殊機能にすぎなかった。
昆虫の幼虫でさえ、IQやカメラアイと呼ばれる、「見ただけで覚えることのできる瞬間記憶能力」を備えています。私も小学生の時は、この機能を持っていました。教科書を読むだけで、どの行に何が書かれているのかを一瞬で覚えられました。
IQ型カメラアイは、いわば「無思考でできる記憶能力」なので、思考機能の虚弱な幼体が持てば、一瞬で、餌や毒、敵や味方を峻別できるのでとても便利ですが、実は、生物でさえ、成体になれば、このIQ能力を捨て去ります。
なぜなら、IQ能力という記憶力だけでは、環境の変化や敵の罠を見抜けないからです。もっと、総合的かつ立体的な思考方法を取り入れないと厳しい環境を生き抜いてゆけない。
こうして、生物は生体になるとIQ機能を捨てて結晶性知能を身につけてゆきます。結晶性知能とは、「新しい環境に適応するための理解力、洞察力、直観力などの経験を活かした知能」を指します。
IQ知能は25歳頃がピークになり、30歳を越える頃から衰えだし、35歳を過ぎると活用することがかなり困難になってきます。だから、丸覚えでないと新しいデバイスや新しいIT言語に対応できなくなるIT業界では、「30歳を越えるとオワコン」とさえ言われているのです。
丸覚えIQ知能を「優秀な知能」とみなしている時代遅れさんたちが幹部に雁首を揃えているような企業は先行き暗いといえるでしょう。
ヒトの思考の脆弱性
以上のように、ヒトの思考は思われているほど強くはなく、むしろ「データ至上主義」とか「融通の利かない丸暗記主義」とかのように、極めて頻繁にデータを更新しない限り、すぐに腐って干からびてしまう脆弱な機能にすぎないし、「起承転結のみえない事態に対しては無能」という側面も持っています。
すなわち、ゆっくりとした変化や長期的に仕掛けられた緩慢な戦略に対しては、脳は反応できないということです。だから、いつまでも騙され続けてしまう。30年以上もかけて仕掛けられたコロナパンデミックのような頭脳の力を超えた戦略によって。その点、支配者たちは「頭脳の欠陥」を知り尽くしている人たちともいえます。