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あみだくじ恋愛論:人生とはゲームのようなものである


人生とはゲームだ。

その意味は、「人生とは思うようになるものではなく行き当たりばったりだ」ということである。

人生は何で決まるかについては多くの説がある。遺伝か、能力か、環境か、努力か、運なのか。現在では、人生を左右する力で最も大きいのは運であるとされている。

では、運とは何かといえば、誰も定義づけられない。そのような胡散臭いものが最大の力と言っているのが、人類の不完全さを物語っている。

聖書には三つのキーワードが綴られている。
求める、探す、門をたたく。

まず、目的を明確にしょう。
恋愛なのか結婚なのか。
それが決まると探しにいこう。
探し方はあみだくじだ。

いろいろと肩の力(自尊心の塊)を抜いて、あちらこちらぶつかってみよう。それらの中で気になるモノが見つかれば、その門をたたいてみよう。具体的にいえば、たたくは、コミュだ。話してみないと何も分からない。そして、気が合えば門は開かれる。これだけのことだ。そこには偶然だけでなく意思が介在する。だから陽炎のような運任せではなくゲームになる。

男性限定の話だけど、夢みたいなことを言っている女子でも口説けば現実に引き戻せる。恋愛と結婚に関しては男側が積極的に動かないとダメ。男ならフラれるのを覚悟で損をするのを覚悟で動かないとダメだ。

恋愛もゲーム感覚でこなしてゆけばいいのだが、「『人生は何が起こるか分からない。だから面白い』と人は言うけれど、不安症で気持ちの切り替えが苦手な私にはそんな言葉は響かない」という女性は当然のことながらたくさんおられる。

だから、「セロトニン不足の人は冒険ができない」のだ。
セロトニン食材をググって食べよう。
日光に当たろう。
丹田を鍛えよう。
鼻呼吸をしているか。

「三〇歳の頃には、人生に絶望していました。そして本当に死のうと母に報告に行った時、母からハグしてくれて『愛してるよ』と言ってくれました。私が欲しかった愛情表現でした。その瞬間、体に何かが染み渡り、心の中の壁のようなものが砕け、絶望で真っ暗だった心に光が差すのが分かりました」という投稿もある。

だから、結婚なんですよ。
だから家庭なんですよ。

疲れた心を癒してくれるのは唯一、絆で繋がった信頼できる人たちがいる家庭である。多くの人は原因がわからず、それゆえに解決策も見いだせなくなっているかもしれないが、原因も解決法も身近に存在している。

そのような、実は幸せな環境にいるのに気づかない、チルチルミチルの青い鳥のような人が多数派を形成している。チルチルミチルの青い鳥という百年以上前の童話がいまなお語り継がれているのは、人類が如何に読解力がないとか、自分の痛みや苦悩に弱すぎるとか、平坦な道を歩みたがりすぎるとかを証明している。

聖書にこう記されている。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い」(マタイ7の13)。

誰が何と言おうと人生とは行き当たりばったりのゲームにすぎない。あみだくじ恋愛は、いろいろな出会いを重ねながら浮遊する、いわば、クラゲみたいな生き方を通した恋愛法をいう。

クラゲの幼生のように潮の流れに乗って漂いながら、あちらこちらを漂流しどこかの岩場にたどり着いて定着する。そして、ポリプを作って出芽する。

出典:Wikipedia。

コツは重くならないことだ。いつも飄々とどうでもいい感満載で、我(自己主張)をださず、多くを受け入れて消化して、良きパートナーと巡り合う。それだけのことだ。

人生に勝ち負けはない。
本人が暖かい環境を得ればいいだけだ。

本人が幸せになればいいだけなので、良きパートナーと巡り合えることが最も大切なことになる。そのための漂流なのだ。だから、外に出ないといけない。多くの人と出会わないといけない。

スティーブ・ジョブズ氏のスーパーコミュニケーション。


出典;PC Watch。

アップル社を作ったスティーブ・ジョブズ氏はサイコパスであるが、聴衆を魅了できるスーパーコミュニケーションの能力を持つ才人でもあった。

スーパーコミュニケーションとは何か?

スーパーコミュニケーションを説明して理解して貰えるのは難しい。

これは「気」を放つ行為に似ている。自身が発する「気」で聴衆全体を包み込めば、彼らの意識を取り込める、彼らの意識と波長を合わせることができる。そのようなコミュニケーションの能力である。

例えば、オーラのある人がいるとする。超人気の俳優さんもいれば、極悪のヤクザもいる。共に、質は違うけど、何らかの波動を出していて、それがバリアになって近寄りがたい雰囲気を醸し出している。そのような波動に近いものを出しているのに似ている。

要は波動なのだけど、それは、彼が学んだ禅の教えの賜物かもしれない。

彼の凄いところは選んだ師匠が肩書はいっぱいついているけど、理屈ぽい、ありきたりのことしか言えない無能な高僧ではなく、宿無しだったり、家庭崩壊者だったり、飲酒問題を抱えたり、赤貧だったりと言われた破天荒な禅僧乙川弘文おとがわこうぶん氏だったことだ。

Wired Japan。

彼は多くの人がするように、相手を肩書や見た目で選ばなかった。
ここが漂流のポイントになる。

固定観念や先入観を捨てる。

この出会いは漂流の効用だったのか、それともジョブズ氏の直観力の賜物だったのかは分からないが、いずれにしても彼が肩書のようなくだらない固定観念に左右されるような愚物でなかったことは確かである。

このような、直感を含む五感に従うことができるだろうか?
普通の人ではできないだろう。

だから、あえて直感と五感勝負を挑むあみだくじ流クラゲ型漂流を推薦している。

水木しげる画。


 

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