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負け組の恋愛と勝ち組の恋愛


左の猿から類人猿までの進化は正しいが、右の図は間違っている。類人猿から徐々に現代の人類(ホモ・サピエンス)に進化してきたわけではない。

詳しく知りたい方はサピエンス全史をお読みいただければと思います。

問題は類人猿後だ。身長1メートルから2・5メートルまでの多種多様なホモ族(人類)が一挙に登場した。彼らは百万年前から火も扱えたし、道具も使えた、そして、ホモ・サピエンスは、およそ4万年かけて他のホモ族全てを皆殺しにした。ホモ・サピエンスとはそのような殺戮人種であることを覚えておきたい。

さて、何事にも勝ち負けがある。それは敗ける者があるから勝つ者があるという相対的なものではない。絶対的勝者、絶対的敗者というものがある。例えば、海鳥のフンが積もり積もってできたリン鉱石を肥料として輸出していたナウル共和国は世界一裕福な国になり、ナウル人は何も仕事をしなくても暮らすことができた。こういうのが絶対的勝者である。

しかし、フンが尽きるとナウルの命運も尽きた。まさに、「フンと共に去りぬ」だ。現在のナウルは、援助がないとインフラすらも維持できない国になっている。遊び暮らしていたキリギリスは食料とする植物が枯渇する冬になると野垂れ死にしなければならないという童話を絵に描いたような現実だ。

「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」は肥前国平戸藩の第9代藩主松浦清の名言であるが、確かに幸運に恵まれての勝利はあるが、不運に襲われての負けはない。なぜなら、不運の多くは、負けの方程式によって引き寄せられるものだからである。

例えば、汚い言葉使いをしているだけでその言霊はその人の内面に不運の種を植え付ける。負けは負けるべくして負けるものである。だから、人は誰でも勝つための方程式と負ける方程式を知っておかねばならない。

有名な学説だけど、愚かな人はわずか15分間も待てない。15分間我慢すれば、もう一つ貰えるという望外な懸賞金を付けても我慢できない子供たちもいる。そのような素質を持つ子供たちが実は65%もいる。そのような人たちは大人になっても「小さな目先の快感や欲望」を優先してしまい、結局負け組に転落してしまう。まさに、「負けに不思議の負けなし」である。

世の中には知られていないが幾つもの勝ち負けに通じる法則がある。人の知能の70%は遺伝の影響を受けており、それは教育などでは改善されないことが証明されている。そして、遺伝的なゆえに、常に「報われない努力」というものは存在する。でも、それを切り抜ける方法というものもある。

人生を左右するのは遺伝か、能力か、環境か、努力か、運なのかという答えはであることが実験を通して分かっている。しかし、運の定義は不明確なので、運を動かす方法を知っておいた方がいい。それは新約聖書に書かれている。求めよ、探せ、門を叩け、だ。しかし、その具体的な方法もコツも知る人は少ない。

人それぞれの悩みはあるが、それを解決する方法などはない。なぜなら、それは我(エゴ)だから。エゴは千差万別どころか億差兆別だ。こんなのに解答などあるわけがない。

しかし、方法はないけど手段はある。それがアップデートだ。そこにある力を加えたい。それは願いを後押ししてくれる力だ。そういう力は実在する。

この世にはいろいろな問題が山積されているが、正しい法則、方程式、知識、地図を得られれば勝ち組に編入される。一度限りの人生だから勝ち組列車に乗って人生路線を走るのも悪くはない。


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