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6/8(土) 火の中の栗を拾う

最近の身の回りを振り返って、言語として発信したくなったことをまとめて書き下ろしました。

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自分も含め、すぐSNSの「いいね!」数や投稿へのエンゲージメントをついつい確認してしまい、本来のネットワーク、交流という概念を忘れてさせてしまうくらいに便利になった。
進んだ世の中がゆえに歴史が注目され、差異から類似点を探し、新たなものに結び付いていくのはとても良いことであるし、年齢は数字でしかなくなったのではと思うところもあるが、一方でこの時代の「暗い」側面もあり、今まではそれを統計資料や外側の目や言葉を用いた解釈をしてきたが、ようやく内側から強く伝わってきている。特に我々若い世代からのメッセージが強い。

特に顕著に表れているのが、SNSである。何かの道に志している周りの同年代を最近見ていると、SNSに投稿する街の落書きのような罵詈雑言を通じて、ある種の連帯感や承認欲求を埋め合わせたいようなメッセージが雑多に見られる。
SNSは一文字置き換わって、ある意味SOSを伝えるメディアへ遂げたのだろうか。

昔からもそういった状況や側面はあったと思うが、ようやく「私のことば」として記すことができた。

そんな風景を反芻している湘南新宿ラインの中で、ふと一つのことわざを思い出した。

「火の中の栗を拾う」

昨今の世の中からは程遠い意味であるから、その差異から思い立ったのだろうか。
「栗」ではなく、「火」からも遠ざかりやすくなってしまったので、是非もう一回「火」に近づけるように感覚をフル動員させ、様々な内側の「栗」を拾っていけるように邁進していきたい。
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