エトルリア

紀元前8世紀頃にイタリア中央部に出現した民族。
古代ローマ人は「ティレニア人(Τυρρηνοί)」と呼んだ。
その起源については議論があり、

リュディア(小アジア南西海岸地域)からイタリアへ渡来した民族であるという東方起源説(ヘロトドス)

イタリアの先住民説(ハリカルナッソスのディオニュシス)
がある。

エトルリア人は、
ビラノーバ文化(イタリアのもっとも初期の鉄器時代の文化)
を土台にして、様々な移住民(多くはオリエント系)を加えた多様な文化を醸成。その後紀元前7世紀頃に独立を果たした。

タルキニア(Tarquinia)
チェルヴェーテリ(Cerveteri)
ウェツロニア(Vetulonia)
などのチレニア海沿岸に高度な都市文明を創建。

銅や鉛、鉄、銀の鉱山採掘に力を入れ、地中海貿易で発展。
紀元前6世紀には12都市の国家連邦を形成し全盛期を迎える。

Arretium
Caere
Chiusi
Tarquinia
Veio
Vetulonia
Volsinii
Volterra
Vulci
Perusia
Populonia
Roselle

エトルリア12都市国家(同定には複数説があり、判然としない)

このエトルリア同盟(Lega dei popoli)を結ぶ国家群は
ドデカポリス(Δωδεκάπολις, Dodecapoli etrusca)とされ、
各国家はルクモネ(Lucumone)と呼ばれる首長が政治、軍事、宗教を統治し、やがて周辺国との関係も構築された。

伝説によれば、紀元前616年にティベル川北方のエトルリア人であるタルクィニウス=プリスクス(Tarquinius Priscus Lucius)が古代ローマ史上初のエトルリア人王に即位した。

プリスクスはその後先王アンクス=マルキウス(Ancus Marcius)の子弟に謀られて暗殺され、後任としてローマ人であるセルウィウス=トゥルリウス(Servius Tullius)が王に即位するが、彼が亡くなると、

再びエルトリア人であるタルクィニウス=スペルブス(Tarquinius Superbus Lucius)が第七代王として君臨した。

余談だが、この第7代王スペルブス(Superbus)はラテン語で傲慢を意味し、在任中いくつかの問題行動を起こしている。

特にスペルブスの息子セクストゥス=タルクィニウス(Sextus Tarquinius)が、貴族のタルクィニウス=コラチヌス(Lucius Tarquinius Collatinus)の貞潔な妻、ルクレツィア(Lucretia)を強姦したことは一大スキャンダルに発展し、

ルクレツィアが自殺した後、父であるスプリウス・ルクレティウス・トリキピティヌス(Spurius Lucretius Tricipitinus)と夫に同伴したルキウス=ユニウス=ブルートゥス(Lucius Iunius Brutus)は民衆を扇動し、王の追放を画策した。

かくしてエトルリア人はローマ行政から追放され、
共和制ローマ(Res Publica Romana)が確立したのである。

一連の歴史物語は数多くの文学、音楽、絵画作品に反映されており、シェイクスピアの「ルークリース凌辱(The rape of Lucrece)は著名である。」


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