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明日の商人 弔うとは何か

2020年9月6日に、上智大学名誉教授でカトリック司祭の アルフォンス・デーケン先生がご逝去されました。 謹んでお悔みを申し上げるとともに、ありし日の先生を偲んで参ります。 2014年10月30日に豊橋・生と死を考える会が主催する集まりで デーケン先生と過ごした一日の記録です。

ユーモアの価値

五十路もそろそろ見えて来る年頃になると、さまざまな責任を負う立場になり、 その重荷からか身体だけではなく精神も病みやすい年頃でもあるようです。 個人的にも、そんな年頃を迎えた故なのか、最近いろいろな問題で追い詰められていたような状況がありました。生真面目な性格も災いするのかもしれません。 そんな時、ユーモアの価値を教えていたデーケン先生のことを思い出したのです。

今一度先生の著書「よく生き よく笑い よき死と出会う」をひもとくと、そこに11人の子供を育て上げた91歳の母親のことが紹介されていました。死を目前にして「煙草が吸いたいわ。」家族が諭すのです。「医者が煙草はいけないと言っています。」すると、「死ぬのは医者ではなくて私ですよ。煙草をちょうだい。」そして、悠々と煙草を吸い終わると皆に感謝して「天国でまた会いましょう。バイバイ。」そう言い残して、息を引き取ったそうです。

日ごろはタバコをたしなむ方ではなく、残される子供たちのことを思って演出したコメディーだったのだと。その記事に、ポロポロと涙が溢れました。そこに、張りつめたものが溶かされる、ユーモアの力を思いました。笑えない状況でも、笑うあるいは笑わせる努力をする。そこに生きる意志がみなぎり、そこに希望が生まれ、そこに愛があるのだとも思いました。

葬儀を前にして

ちょうどその本を読み終わった時に、豊橋・生と死を考える会の田中さんにばったりとお会いしました。「今度デーケン先生が来ますよ。」時が来たと思いました。 この時がギリシャ語のカイロスだとも先生の著書から教えて頂きました。 ギリシャ語では、時を表すのに、クロノスとカイロスがあり 「クロノスとは、いわゆる時計の針が刻む量的な時間のことで、カイロスとは、 一回限りの独自に生じる、質的な時間を指します。」

時を同じくして、一つの課題が私に与えられました。中学三年の息子の同級生の御父さんが突然お亡くなりになりました。その娘さんは、葬儀で号泣していました。果たして、ご遺族のために何ができるのだろうか。それは、弔うことであると漠然と考えます。その弔うとは何か。死者を前にして、生きている者は、どのように向き合うべきなのか。私なりの思索の旅が始まります。

辞書によると、弔うとは「人の死をいたみ、その喪にある人を慰める。」その点では、故人だけではなく、故人の遺族に対しても行う行為です。いつしか、日本人の多くは、弔うことが形式あるいは儀式的なことになってしまい、本質なるものを見逃してしまっているように感じます。そのため、悲しみに暮れるだけで終わってしまう。あるいは、深く考えようとしないため、真実なものが見えなくなっているように思えます。今一度、主体的に自分の頭で考えてみる必要があるでしょう。

ドイツ語で弔うとは

そんなことを考えつつ、その日の朝を迎えました。田中さんのステンドグラスのある古民家。扉のむこうに、ステンドグラスからの光をいっぱいに受けたデーケン先生が立っていました。あどけない少年の目をおもちで、じっと見つめてくれました。一人一人に丁寧に挨拶をされていました。

色つやのよいお顔を口にすると「毎日プールで泳いでいます。」皺がないと周りから言われるそうですが、確かに皺らしきものをも見つけることができません。この時とばかり、早速質問をしてしまいました。「日本語の弔うという言葉は、ドイツ語では何ですか。」隣にいた秘書の木村さんが、素早く丁寧にメモを渡してくれました。

木村さんは、終始微笑みながらサポートをされていました。「Trauer (悲しみ:名詞) trauern(悲しむ:動詞)」「Abschied nehmen(別れを告げる)」 nehmenは受け取るという意味があり、より積極的な強いニュアンスが含まれると添えてくれました。デーケン先生の働きも、この方あってこそだと思いました。

その時nehmenという言葉に心が留まったのです。弔うとは、きっと故人から、あるいは故人の生き様から、何かしらを受け取ることでもあるのだと思いました。そこには、過去ではなく未来に向かって今を生きる、弔う主体である私の生き方に反映させるものが、弔う行為には含まれる。弔うことを通じて人は成長して、さらに自分の道を確かなものとして行くのでしょう。

明日に向かって生きる

その場に、7歳の長男まさし君を小児がんで見送った朝倉さんが集われていていました。朝倉さんのお話を伺うと、まさしくnehmenを見る思いでした。今日は、小中学校で「命の授業」を開催して、息子さんから受け取ったものを伝える活動に意欲的に取組まれていました。

その集まりの前半は、メモリアルサービスというカトリックの礼拝でした。故人との思い出の品を持参して、それを紹介しあう時間を持ちました。弔うとは、本来このような行為を言うのだろうとも思いました。思い出すことは、悲しむことでもありますが、思い出を分かち合うことで、悲しみがいやされていく。

そこには、自分が何をして行けばよいのかが見えて来て、さらに、それに向かっての決意あるいは誓いをしている行為のように思えました。それを明日に向かって生きると言うのかもしれません。しかし、人それぞれに時があるのだとも思いました。悲しみの渦中にあって、まだそこに至れない方には、無理に語る必要はなく、じっくりと待つことも必要なのでしょう。

弔うとは愛すること

その意味では、葬儀というものも、しばらくたってから行うこともありかもしれません。その後のグループでの集まりの中で、別れ方も人それぞれと思いました。じっくりと介護して、同じ時間を過ごしながら最後を迎える方もいれば、事故などで突然亡くなる場合もある。

近藤さんという私の父親と同じ世代の老紳士は、ガンで余命いくばくもない宣告を受けながらも今日生かされての参加でした。その奥様は、お父さんを交通事故で一瞬にして失い、お母さんは病院に運ばれて翌日に亡くなったと。その悲しみもいろいろであり、じっくりと寄り添いながら最後を迎えることができることは、その点では、大変恵まれていることでもあると思いました。

そして、自死で家族を亡くした方に、どのように向かいあったら良いのか。そんな話に及んで、木村さんが、葬儀の時だけではなく、ずっと見守っていくことを提案してくれました。折々に手紙を書くことも大切だと。ふと弔うとは、その場限りの行為ではなく、生涯続いていくもののようにも思いました。結局それは、その人を愛することに連なることであり、弔うとは、愛することのように思えて参りました。

音楽を通じて癒される

礼拝とその後の食事会の中では、南米の楽器であるアルパ、ピアノとチェロの生演奏がありました。やはり、音楽には悲しみを癒す力が秘められています。それも弔うことなのでしょう。アルパでの賛美歌をはじめ「涙そうそう」どれも、悩みや悲しみの向こうに希望が感じられました。一音一音が力強く心に響きます。

ピアノとチェロのアンサンブルでは、演奏者の方が、その曲が作られた背景を分かりやすく解説下さり、改めて悩み悲しみを通じて、心に触れる旋律は生まれるのだと思いました。コンサートの最後は、先生のテーマ曲でもある「You are my sunshine」隣の方と手をつないで手を振りながら、みんなで立って歌いました。人にとって、輪になっている人たちは、そんな存在だと確認させてくれたようでした。

著書の中では、先生の妹さんが傍でギターを弾いて、この歌を先生が歌うイメージがあったのですが、その妹さんは今年お亡くなりになったそうです。どことなく、先生に一抹の寂しさなるものを感じてしまったのは、妹さんの死があったからかもしれません。ちらりと先生に「妹さんの最後はどうでしたか」と伺ってしまう機会がありました。

悲しみや苦難とは

新約聖書のパウロの信仰をひもときながら、「キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみを賜ったのです。」どれほどか苦しいところを通られたのだなあと想像しましたが、キリストの十字架の苦しみや痛みを自分のものとすることで、キリストとさらに深い結びつきをされたようでした。

礼拝の講話でも、苦難のことをヨブ記からお話をされていました。「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。」このヨブの言葉を、知識ではなく体験とも言い換えていました。悲しみや苦難を通じて、人はキリストの十字架の苦しみを、キリストの愛を、キリストご自身を体験できるのだと。きっと、妹さんもその恵みに預かったお一人。それは、天国に連なる幸いな人です。先生も「You are my sunshine」を歌いながら、その妹さんのことを思い出し、弔うことをしていたのかもしれません。

食事を通じて癒される

礼拝後に、先生を丸テーブルに囲んで食事を共にしました。スタッフの皆さんの手料理でのおもてなし。目の前のお皿には、手まり寿司が綺麗に並んでいました。また、水のゼリーという不思議なデザートにも、その独特の食感に心癒されて、食べることを通じても人は癒されていくのだと思いました。 料理を用意することも、もしかしたら弔うことともつながっているのかもしれません。

先生の左隣に私、右隣には高校生の娘さんを数年前に見送られた柴田さんが座っていました。先生の向こう側には、子供たちがいる病院に道化師として慰問にまわっている日本ホスピタル・クラウンの大棟(おおむね)さん。髪型までも替えて子供たちのために尽くしている大棟さんを見ていて「道化師は愛なり」と思いました。

悲しみをみんなで共有する

大棟さんが笑いのパフォーマンを披露。それに触発されたのか、柴田さんも、あるパフォーマンスを披露してくれました。ビニール手袋を裏返して、へこんだ指先に丸めたティッシュを詰めて、それを息で膨らませるとサッとティッシュが飛び出します。これは、亡くなった娘さんの兄弟たちがお姉ちゃんを笑わそうと考え出したものだと。

その光景が、とても温かく、それを見守っている皆さんの姿が美しく、終わった時、先生が握手をしながら柴田さんを見つめる姿が一段と優しさにあふれていました。悲しみをみんなで共有する。悲しみのあるところ、慈しみと言いますか、優しい気持ちが引き出されるのだと思いました。

同じ目的を持って

先生は、子供専用のホスピスを日本で設立することを進めているとお話をされます。その席は、大棟さんはじめ、子供たちのためにと同じ目的を持っている方たちの集まりにも思えて参りました。その時ぽつりと、柴田さんが私に質問してくれました。「高津さんは、先生ですか。」「先生ではないのですが、二川中学校のPTA会長を3年しています。」

そこから、いろいろな話を伺うことができて、私の子供たちとも同じ世代であることが分かり、最後は、「二川の本陣祭りに来て下さい。」中学生たちも参加する大名行列のおまつりへの参加を呼びかけることができました。そんな柴田さんの晴れやかな姿がとても印象的でした。すると、宴もたけなわの中で、先生は、赤いスポンジを鼻に付けて道化師となります。その場の雰囲気が鼻のように明るくなるから不思議です。

大棟さんがピアノの椅子の脚をおでこに載せた時は、先生は「私はデーケン」終始笑いを振りまきます。赤鼻の先生を囲んでみんなで記念撮影をしました。このように記録を残すことも、将来の弔うことにつながっていく、思い出の一場面を作っていることなのかもしれません。

私はいつもともにいる

その場で紹介されていた先生の直近の著書である「希望の便り」は聖書のお話でした。先生は、フランシスコ・ザビエルを輩出したイエズス会の宣教師。私は一昨年、浜松でロシヤの画家であるイリア・レーピンの展覧会が開かれていた時に、「パリ、モンマルトルへの道」という絵に涙しました。

道と空が素描されただけの絵です。絵を前にして涙したのは、初めての経験でした。そこで、帰ってから、モンマルトルを調べてみると、そこはパリで一番高い丘で、「殉教者の丘」に由来があるとのこと。その昔、信仰のゆえに三人の首がはねられた地。そして、フランシスコ・ザビエルがイグナチオ・デ・ロヨラらと誓い合いイエズス会を創設した地でもありました。

なぜ、心動かされたのか。そこに殉教者と宣教師たち、その家族の苦しみや悲しみが込められていたかもしれません。そして、その道を前にして恐れや不安を感じている自分に、「私はいつもともにいる」との声が聞こえてきたようでした。

デーケン先生のにっこりマーク

なぜか、先生とお会いできると聞いてから、先生の名前が気になっていました。 デーケン先生の名前は日本語で「できません。I can’t」と読めます。それは、弔うことにも通じているように思いました。人間はできない。人間は知らない。人間は死んで行く。その現実をそのまま認めること。素直に受け入れること。そこには、日本語の反語のように隠された真理があるようです。

翻って、あなたにはできる。あなたは知っている。あなたはよみがえった。その希望を信仰によって汲み取ることができる。そこにこそ、天につながるところの本当の意味での喜びがあるのだと思いました。

先生の「希望の便り」に、サインをしていただきました。そこに、にっこりマークのイラストも。弔うとは、不謹慎かもしれませんが、このマークのごとく、喜ぶことのように思えて参りました。「アーメン。私の葬儀の時には、スマイル。スマイル。スマイル。」そんな先生の声まで聞こえてしまいそうです。しかし、私は言ってしまうかもしれません。「先生、それはデーケンです。」

追伸 先生、日本人のために最後までありがとうございました。 人生多難、されど楽しき哉。笑いを通じて、信仰を見せて頂きました。(2020年9月7日)