クライマックスの構造/超限定能力の脚本分析
現在上映中の「逃走中THEMOVIE」に対して、
SNSや映画レビューサイトにて、
ベスト級につまらないだの、
コロコロコミック以下の頭脳戦だの、
散々な酷評が飛び交っています。
自分は万事、
プロの脚本家というものに懐疑的なので、
書いた人は誰だろう、
と丸出しの野次馬根性で調べてみたら、
意外にも、
往年のコンクール作品「超限定能力」(ヤングシナリオ大賞受賞作)を書いた方でしたので、
かつて勉強のために読んでいたこともある、
「超限定能力」の脚本について、
少し触れたいと思います。
上記は「超限定能力」のあらすじです。
もう10年近く前の受賞作になりますが、
自分が初めて手に取って読んだコンクール作品の脚本が、
この「超限定能力」だったと思います。
ストーリーは、
あらすじの通り、
乗客がどの駅で降りるかがわかる、
そんなニッチな能力を手にした主人公が、
次の駅で降りる乗客の前で待機し、
その乗客が座っていた座席に座る、
みたいな能力の使い方をし、
通勤ライフを満喫するも、
一転、
降りる駅がわからない乗客に遭遇したことで、
行き場をなくした人たちが、
世の中に溢れていることを知り、
その人たちを救おうとする、
といった感じで、
ライトな作風の、
わかりやすいストーリーで、
良くも悪くも読みやすい話だった、
といった記憶があります。
そしてもうひとつ、
記事の本題になりますが、
この作品で印象に残っているのが、
クライマックスの存在です。
ご存知のように、
クライマックスとは最高潮を意味しますが、
脚本の文脈では、
終盤に訪れる解決シーンを指すことがほとんどです。
たとえば、
悪役を倒すとか、
恋人と結ばれるとか、
あるいは、
トラウマを克服するとか、
そうしたシーンです。
そして優れた解決シーンというのは、
複数の問題が一挙に解決されます。
先ほどの例でいえば、
主人公は悪役を倒せるか?
主人公は恋人と結ばれるか?
主人公はトラウマを乗り越えられるか?
の三つの問題が一つのストーリーにあるとして、
それらの問題が一つのシーンにおいて、
同時に解決される形になっているものが、
いいクライマックスといえます。
「超限定能力」については後ほど触れるとして、
そうしたクライマックスを持つ映画として、
真っ先に思いつくのが、
古沢さんが書いた「キサラギ」です。
ストーリーは、
怪死したアイドルのファンである五人の男たちが集まり、
アイドルの死の真相に迫る、
というもので、
この作品には、
以下のように、
主人公が抱える内なる問題と、
ストーリー上の問題(事件と言い換えてもいいです)の、
二つが存在します。
そして「キサラギ」では、
上記二つの問題が、
ある瞬間に、
タイムラグなしに、
同時に解決を迎えているのですが、
(※以下ネタバレになります)
具体的に書くと、
謎の焼死を遂げたアイドルの死の原因について、
自殺説や殺人説など話が二転三転したあと、
最終的な結論として、
アイドルは事故死であり、
アイドルが火事から逃げ遅れたのは、
ファンからもらった大量の手紙を火の手から守るためであり、
その手紙の送り主こそが主人公だった、
といった流れです。
つまり、
というように、
事件が解決されることによって、
主人公が抱える問題をも解決されており、
コインの裏と表のように、
事件と問題が表裏一体の構造になっていることが、
「キサラギ」の例から見て取ることができます。
「超限定能力」の場合も、
「キサラギ」と同様であり、
主人公の内面の問題と、
ストーリー上の事件とが、
同時に解決しています。
(※以下ネタバレになります)
主人公には就職活動に悩む親友がおり、
人身事故のために面接に間に合わなかった、
とグチをこぼしますが、
そんな親友に対して、
人身事故では人が死んでいる、
なのにみんな事故を迷惑がってグチをこぼす、
世間の人間は冷たい、
的な感じで、
主人公が軽口を叩き、
そのことで、
人の悩みがわからないお前も世間と同じだ、
と親友から切り返され、
二人に確執が生じます。
その後、
就活に行き詰まった親友が自殺を図ったことで、
主人公が後悔を滲ませる中、
主人公は線路へ飛び降り自殺を図る少女を目撃し、
命がけで助け出したところ、
それを見ていた周りの人間から拍手がわき、
世間の人たちは(あるいは自分自身も)、
冷たい人間ではないのだ、
と思い至ります。
といった具合で、
ストーリー上の事件と、
主人公の抱える問題とが、
同時に解決を遂げています。
こうして理論で書くと、
何でもない単純な構造に思えますが、
いざ実践しようとすると、
事件と問題の組み合わせのアイデアや、
それを束ねあげる構成力が求められるため、
表裏一体の構造を生み出すというは、
相当難易度が高いといえます。
自分がクライマックスについて説明するときは、
先ほどの「キサラギ」を必ず引き合いに出すのですが、
それは「キサラギ」を超える好例が、
ほとんど見当たらないからでもあります。
たとえば、
「グラントリノ」のクライマックスは、
微妙な出来に思えます。
移民を忌み嫌う保守的な老人と、
移民の少年との交流を描いた話であり、
クライマックスでは、
ギャングに命を狙われた少年を助けるべく、
老人がギャングのもとに乗り込み、
懐から銃を取り出そうとしたさいに、
ギャングに射殺されてしまうのですが、
実は老人が取り出したのは、
銃ではなくライターであり、
老人の自己犠牲によってギャングは逮捕される、
というシーンが描かれます。
構造としては、
といった感じになり、
少年との交流で変わっていく老人の姿の、
その象徴がクライマックスシーンに現れており、
一応、
ストーリー上の事件と、
主人公の内なる問題が、
同時に解決しているといえるものの、
どこか理屈っぽさがあり、
カタルシスもなく、
個人的な感覚になるかもしれませんが、
クライマックスとして物足りなさを感じます。
その点、
「超限定能力」は、
「キサラギ」に匹敵するかは別にしても、
十分にいいクライマックスを持った脚本といえます。
冒頭に少し書きましたが、
自分は勉強のために「超限定能力」の脚本を読んでいた時期があり、
クライマックスってこうやって書くんだと、
学ばせていただきました。
その意味もあり、
この「超限定能力」は、
歴代のコンクール受賞作の中でも、
印象に残っていましたので、
こうして取り上げた次第です。
冒頭に出した「逃走中」に関して、
未見であると断った上で、
最後に少し触れますと、
上記サイトのあらすじ(ネタバレ込み)を読む限り、
設定や内容はドイヒーな一方で、
構成的にはまともな感じがします。
クライマックスに関していえば、
ストーリー上の事件である、
デスゲームへの挑戦と、
主人公の内なる問題である、
友人とのわだかまりの解消の、
二つが絡み合う、
王道の構成になっているため、
クライマックスが発生する土壌自体は、
作られているようには見えます。
ただ、
主人公格のキャラが多いというのもあると思いますが、
それぞれのキャラが抱える問題が先に片づいていき、
事件の解決のみが最後に残るという、
割とよく見受けられるパターンになっているような気がしました。
これまで書いてきたように、
デスゲームをクリアすることで、
友人とのわだかまりをも解消される、
そうした表裏一体の構造になっていれば、
見事なクライマックスになり、
カタルシスが発生するはずですが、
しかし言うは易しで、
そうしたものを生み出すためには、
高度な構成術が求められることは、
これまで述べてきたとおりです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?