名作映画に見る伏線の使い方|ドラマとは何か
脚本用語の中には一般的に使われている意味とは異なる意味を持ったものがある。
例えばドラマ。テレビドラマの略として浸透しているが、脚本を語る文脈では劇的なるストーリーを指す。
伏線もその一つだ。
長期連載マンガの考察サイトなどで、キャラクターの意味深なセリフや行動や謎めいたシーンを指して伏線と呼んでいるのを見かけるが、脚本的にはそれは謎や引きであって伏線ではない。
脚本でいう伏線とはオチ(未来の出来事)のための巧妙な前振りのことで、前振りでありながらそれが前振りだとわからないシーンをいう。
最近観た映画"ゾンビーワールドヘようこそ"から一例を出す。
以下は車のタイヤに関する伏線シーン(前振り)だ。
主人公は車で走行中に鹿を轢いてしまう。その弾みでタイヤがパンクし、スペアタイヤに取り替えていると、いつの間にか轢いたはずの鹿の死骸が消えている。
それに対して回収シーン(オチ)は、
ゾンビと化した人間たちから逃げる主人公。急いで車を発進させるも取り替えたタイヤが外れてしまい、たちまちゾンビたちに取り囲まれる。
というもので、タイヤを取り替える前振りがあるためにタイヤが外れるオチが自然だ。
映画を観た方はわかると思うが、伏線シーンが前振りに見えない。これは鹿がゾンビ化していることを観客に知らせるという、シーンの意図がしっかりとあるためで、従って鹿を轢いてタイヤを直すことに必然性がある。
これが例えば釘が刺さってタイヤがパンクしするシーンだったとすれば、伏線シーンがオチのための手段でしかないので不自然だ。
伏線と回収はワンセットだが、伏線とは伏線シーンのみの単体でも違和感なく成立しなければならない。
冒頭に出した一般的な意味で使われている伏線(=謎や引き)と比べると地味に思われるかも知れないが、脚本ではこの手のテクニックを伏線と呼ぶ。
まとめると伏線とは前振りでありながら前振りだけでも成立するシーンといえる。
以上の説明を踏まえ、僕が思わず唸った伏線を一つ紹介する。
映画"デスノート"より。
前編の終盤、Lのいる捜査本部に入りたいライトだったが、レイの婚約者ナオミからキラであることを疑われて追い詰められてしまう。ライトはデスノートでナオミを殺すことを決意。恋人である詩織を利用しナオミを殺すことに成功するも、詩織もまた命を落としてしまう。(伏線シーン)
伏線シーンではキラとナオミとの攻防戦が描かれている。どちらが勝つかという手に汗握る展開だが、実は伏線だったことが回収シーンで明かされる。
詩織の死もまたライトの筋書き通りだった。詩織を殺したライトは恋人を失った悲劇の青年を演じ、キラへの復讐という名のもとに念願だった捜査本部に晴れて入ることになる。(回収シーン)
伏線シーンそれ自体に目的や面白さを持たせつつ、同時にキラを捜査チームに入れるための壮大な前振りにもなっている。
先に述べた前振りでありながら前振りだけでも成立するシーンのお手本で、ここまで見事な伏線はなかなか見られない。
展開というものは本来は全てこのような作りであるべきだが、作り手側からすれば至難の業だ。それゆえ優れた伏線には展開の妙としての価値がある。
繰り返すように伏線とは伏線であることがわからないから伏線といい、回収する前にそれとわかるものは伏線ではない。
この記事は映画分析で培った脚本論を語ることが目的だが、サークルの宣伝の前振りであれば、それは伏線になる。
こんなサークルやっています。
伏線回収したいです。
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