テーマから見るハッピーエンドとバッドエンドの違い
ストーリーにはハッピーエンドとバッドエンドの二種類がある。
どちらがストーリーとして優れているか、
は後述するとして、
どちらの型も大体は決まっている。
バッドエンドの型は至ってシンプルで、
主人公の価値観が悪役の価値観によって打ち壊される
これがバッドエンドの基本形。
主人公の価値観は歪んだものでなければ何でもいいが、
例えば、親子愛とか、自己犠牲とか、それが掛け値のないものであったほうが観客は感情移入できるし、
一方で悪役の価値観は主人公と相対するものであったほうがストーリーが引き締まる。
例をあげると、スパルタ教育とゆとり教育。
ゆとりを主人公の価値観とするならば、
心根の優しい生徒(ゆとり)が暴力教師(スパルタ)によって潰される
ゆとりのいい面とスパルタの悪い面を強調することで(これも後述するが)テーマが明確になる。
反対にスパルタを主人公の価値観とするならば、
生徒を思うゆえに厳しい指導をする教師(スパルタ)が厳しさを認めない学校(ゆとり)によって潰される
といった感じになる。
このように主人公の価値観が打ち砕かれることによってバットエンドは生まれる。
では、ハッピーエンドはどうか。
バットエンドをそっくり裏返せば、
主人公の価値観が悪役の価値観を打ち壊す
となるが、実はこれでは型として弱い。
再びスパルタとゆとりを例に出せば、
心根の優しい生徒(ゆとり)が暴力教師(スパルタ)を打ち倒す
あるいは、
生徒を思うゆえに厳しい指導をする教師(スパルタ)が厳しさを認めない学校(ゆとり)を一新する
となり、正しいものが悪いものに勝利するというのはストーリーとしては真っ直ぐすぎるからだ。
ストーリーは常にひねりが要求される。
ゆえに、
(誤った価値観などの)問題を抱える主人公が事件や出来事を通して成長する
これがハッピーエンドの基本形となる。
ゆとりとスパルタの例でいえば、
ナヨナヨした生徒(ゆとり)がスパルタ教師(スパルタ)と出会い、一皮むける
あるいは、
学力至上主義の教師(スパルタ)が生徒の自由を重んじる学校(ゆとり)に触れ、考えを改める
このように価値観の悪い面を主人公に持たせることによって主人公が成長する仕組みになっている。
言い換えれば、主人公の抱える問題を解決することでハッピーエンドは生まれるといえる。
もう一例をあげる。
いじめられっこの主人公がボクシングをはじめていじめっこを倒す
この場合「いじめ」という事件は明確だが、主人公の抱える問題の本質が見えない。
したがって問題を明確にする必要があるが、
主人公の問題を「生意気」とした場合、いじめっこを倒しても生意気であることは解決しない。
問題を「ひ弱」にした場合は解決するが、それでは(肌感覚として)単調な感じを受け、ストーリーとして味気ない。
なので「ひ弱」の問題を掘り下げ、
ひ弱の理由を父親がいないこととし、
いじめられっこの主人公(父性の欠如)がジムトレーナー(父性なるもの)に出会い、いじめっこを倒す
こうするとストーリーに深みがでると思う。
それ以外にも、
主人公の立ち位置をズラすという手もある。
いじめを見てみぬふりをする主人公(傍観者)がいじめられっこと交流し、いじめっ子を倒す
いじめられっこを主人公からパートナーの立場に置き換えた。
そうすることで新たな主人公に「傍観」という問題が生まれ、いじめっこを倒すという事件を通して「傍観」の問題が解決される。
ストーリーラインを見て、主人公の変化が単調だなと感じたら、
問題を掘り下げたり、主人公の立ち位置をズラしてみたり、色々な工夫を用いてみるといいだろう。
次にテーマとの関係に触れる。
バッドエンドは、
主人公の価値観が打ち砕かれることによってテーマが暗示される
一方でハッピーエンドは、
主人公の抱える問題が解決することによってテーマが暗示される
とこのようになる。
先ほどスパルタとゆとりの例を用いてバットエンドとハッピーエンドの型を書いたが、
バットエンドである、
心根の優しい生徒(ゆとり)が暴力教師(スパルタ)によって潰される
なら、テーマは「スパルタ教育は悪い」になる。
同じテーマをハッピーエンドで表すならば、
学力至上主義の教師(スパルタ)が生徒の自由を重んじる学校(ゆとり)に触れ、考えを改める
「ゆとり教育はすばらしい(=スパルタ教育は悪い)」だ。
逆に「ゆとり教育は悪い(=スパルタ教育はすばらしい)」がテーマなら、
バットエンドでは、
生徒を思うゆえに厳しい指導をする教師(スパルタ)が厳しさを認めない学校(ゆとり)によって潰される
ハッピーエンドなら、
ナヨナヨした生徒(ゆとり)がスパルタ教師(スパルタ)と出会い、一皮むける
となる。
気づいた方もいると思うが、バットエンドは悪役の価値観を否定する場合に向いている。
例えば「蛍の墓」。
作中のストーリーの形を見る限り、
兄妹愛よりも「戦争は悪い」もしくは「同調圧力は悪い」といった悪役側のテーマに重きがおかれている。
書き手は兄妹の美しい絆を破壊することで、戦争の罪深さを際立たせているわけだ。
一方でハッピーエンドはテーマを肯定的に表すのに向いている。
仮に「蛍の墓」をハッピーエンドにした場合、
妹を蔑ろにする兄が戦争で両親を失い、妹と二人きりで逞しく生き抜く
みたいな感じになり、
「戦争は悪い」よりも、
「兄妹愛はすばらしい(兄妹が助け合えばがどんな境遇でも乗り越えられる)」というテーマが強調されるだろう。
テーマを描く場合、
個人的にはバッドエンドのほうが敷居が低いと思っている。
主人公の抱える問題の解決をもってテーマを描かなければならないハッピーエンドに対して、
バットエンドであれば問題の解決なしでテーマを示せるからだ。
しかし、バットエンドは比較的易しい反面、(テーマを示す方法として洗練されている)クライマックスが使えないという欠点がある。
脚本用語におけるクライマックスの定義については以前書いたが、
改めて書くと、
主人公の抱える問題とストーリー上の事件とが同時に解決すること
※以下この記事ではこの定義をクライマックスとする。(クライマックスの解釈は人によってまちまちなので)
手短に一例をあげる。
個人プレーに走るバスケ部員がチームの仲間たちとの交流を通してチームプレーに目覚め、ライバル校を倒す
というストーリーがあるとして、
(主人公の抱える問題)個人プレー
(ストーリー上の事件)ライバル校を倒す
この二つを同時に解決する、つまり、チームプレーをもってライバル校に勝つことによって主人公の問題をも解決される、
言い換えれば、問題と事件がペアになっていて、どちらか一つが解決することによって必然的にもう一つも解決する、
このからくりを指してクライマックスと呼ぶ。
ポイントは同時解決という点で、問題と事件がペアになっていても、二つの解決の間にタイムラグがあると(たぶん)効果的な表現にはならない。
そしてクライマックスが発生した場合、
当然ながら以下のハッピーエンドの形を含むので、
主人公の抱える問題が解決することによってテーマが暗示される
例にあげたストーリーの場合は、「チームプレーはすばらしい」がテーマとして暗示される。
前述の通りこのクライマックスがバットエンドでは使えない。
例えば、
日雇い労働者がピンハネ業者に搾取され、野垂れ死ぬ
といったバットエンドの話があるとして、
主人公の「貧乏」という問題も解決しなければ、
「ピンハネ業者を倒す」という事件も解決しない。
ゆえにバットエンドでは問題や事件が解決しないのでクライマックスが起こりえない。
クライマックスはハッピーエンドだけの特権であり、
優れたストーリーとは何かを考えたとき、
クライマックスを使ってテーマを効果的に示すことができるハッピーエンドに分があると思う。
ここまで書いてきたように事件や問題が解決するタイプのストーリーはハッピーエンドになるのだが、
ただし例外がある。
映画「手紙は憶えている」。
認知症の老人が友人のためにナチハンターになって元ナチスの男を探し出す、というストーリーで、
元ナチスの男を見つけだしたはいいが、主人公自身も元ナチスだった(認知症のために記憶が失われていた)、がオチになっている。
「元ナチスの男を探し出す」という事件の解決はしているものの、真相が伏せられているがためにバッドエンドになっているパターンだ。
これをハッピーエンドに直すと、
自分を元ナチだと信じて疑わない主人公が、罪滅ぼしから友人の頼みを引き受け元ナチスの男を探し出し、その過程で自分が元ナチではなかったと知る
といった格好になると思われる。
あるいは、少し変えて、
自分を元ナチだと信じて疑わない主人公が、罪滅ぼしから友人の頼みを引き受け元ナチスの男を探し出すも見つからず。しかし、その過程で自分が元ナチではなかったと知る
事件は解決しなかったが、問題が解決するパターン。
これもハッピーエンドになると思う。
いわゆるメリーバッドエンドと呼ばれるもので、
有名作品では「タイタニック」が該当する気がする。
沈没船からの脱出という事件において恋人のジャックは死んでしまったが、ローズは生きる勇気を手にした、
という結末で、
そう考えるとハッピーエンドとは事件の解決よりも問題の解決に重きが置かれたストーリーであるといえる。
話はそれるが、
結末を観客に委ねるパターンのストーリーもある。
「ゆれる」や「ミニミニ大作戦」で描かれているようなラストシーンで、(「インセプション」もそうだったはず)
ハッピーエンドなのか、バットエンドなのか読みとれず、結末が曖昧になっている。
(メリーバッドエンドのように名前がついていてもおかしくないはずだが、調べてもわからなかった)
いかがだったろうか。
個人的にはバットエンドとハッピーエンド、どちらのストーリーも好みだ。
しかし繰り返すようにテーマの観点から考えると、難しさという点でやはりハッピーエンドに分があると思う。
クライマックスはテーマを示す上で最も洗練された方法であり、同時に最も難易度の高い技術でもある。
詳しくは書かないが僕がクライマックスのお手本と呼んでいる「キサラギ」では、
クライマックスによってそれ以外に解釈のないテーマが鮮明に映し出される。
それはハッピーエンドならではの光景だと思う。
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