「3000万」1話の感想
NHKドラマ「3000万」の1話を見ました。
このドラマは、
一般公募から脚本チームのメンバーを募り、
世界で通用するシリーズドラマを作る、
の理念のもとにスタートした、
WDRプロジェクトによる作品であり、
WDRプロジェクトに応募した一人として、
どんな作品ができあがったのか、
少なからず興味がありましたので、
以下、
まだ1話の段階ではありますが、
脚本分析を兼ねて、
感想(ネタバレあり)を述べていきたいと思います。
1話を見た限り、
古今東西で語り尽くされた感のあるストーリーで、
目新しいものはありませんでした。
本作は、
平凡な主人公一家が、
逃亡中の強盗犯を不慮の事故で轢いてしまい、
そのさい出来心から、
瀕死の強盗犯の金(強盗犯が被害者から奪ったもの)をネコババしたことによって、
平穏だった一家の日常に危険が迫る、
といった話ですが、
この設定は、
ある男たちが森の奥でセスナ機を発見し、
機体の中に誘拐犯の遺体と身の代金(誘拐犯が被害者から奪った金)があったことで、
その金をネコババし、
それが破滅への引き金となる、
サムライミの「シンプルプラン」と同じです。
両作品を比較すると、
大きな点としては、
犯人が瀕死の状態にあるか(3000万)、
それとも既に死んでいるか(シンプルプラン)、
その違いだけであり、
設定にオリジナリティが見られず、
自ずと二番煎じの印象を受けます。
また、
設定以外の部分に関しても、
同様の印象を持ちました。
「3000万」のストーリーは、
・悪党の金を盗んで悪党に追われる話
・悪事を行ったことで泥沼にはまっていく話
の二つに分解できると思うのですが、
悪党の金をネコババしたことで、
悪党に追われるシチュエーションなら、
コーエン兄弟の「ノーカントリー」や、
邦画「KAMIKAZE TAXI」などが思い浮かびますし、
たった一度、
悪事に手を染めたことで、
次から次へと誤算やトラブルが生じ、
ドツボにはまっていく展開なら、
前述した「シンプルプラン」もそうですし、
コーエン兄弟の「ファーゴ」や、
ハイスミス原作の「リプリー」、
そして何より、
海外ドラマ最高傑作の呼び声高い、
「ブレイキング・バッド」が思い浮かびます。
以前何かの記事で、
WDRプロジェクトの発案者である保坂さんが、
「ブレイキングバッド」が好き、
的な発言をしていたような記憶があり、
以下に述べる印象は、
その先入観があるのは否めませんが、
1話を見て感じたのは、
「ブレイキングバッド」の色濃い影響です。
前述した、
一度の悪事に手を染めたことで、
事態が泥沼化していく、
という「3000万」で描かれている(今後も描かれるであろう)展開は、
小市民的な化学教師が、
家族のためにたった一度、
麻薬作りに手を染めてしまったがゆえに、
マフィアの麻薬抗争に巻き込まれ、
ついには破滅を遂げる、
「ブレイキングバッド」のストーリーを意識した作りに思えます。
また、
主人公のキャラ造形の点でも、
「3000万」の安達祐実演じる主人公は、
派遣先の職場でカスハラやパワハラを受ける主婦であり、
鬱屈した生活を送っていますが、
3000万という大金を手にしたことを機に、
抑圧から解放され、
パワハラ上司に逆らったり、
悪人を車でひき殺そうとするなど、
大胆に変貌していくさまは、
さながら、
自分を罵る職場の上司を殴ったり、
衰退していた性欲が蘇るなど、
麻薬王へとのし上がる過程で、
次第に野生的な本能に目覚めていく、
「ブレイキングバッド」の主人公ウォルターホワイトのようでした。
あるいは、
ストーリーの構図にも、
そうした共通点を見いだすことができます。
たとえば、
「3000万」では、
主人公がネコババした金には闇バイトの組織が絡んでおり、
主人公は闇バイトの男たちと敵対しますが、
この構図は、
「ブレイキングバッド」における、
主人公と麻薬組織の関係に置き換えられますし、
「3000万」に登場する、
主人公夫婦と親しい間柄にある警察官の存在は、
主人公の犯罪を追求する人間が、
主人公の身近にいる点で、
主人公の義理の弟が麻薬捜査官、
という「ブレイキングバッド」のキャラ配置と同じです。
さらには、
両作品の主人公には一人息子がいますが、
この息子の存在に関しても、
いずれの作品とも、
息子は主人公の犯した悪事を知らず、
善良な親であることを信じており、
脚本的にいえば、
それが発覚すれば親子関係が破綻する、
という、
秘密のカセが生み出す面白さなのですが、
この点も、
何となくですが、
「ブレイキングバッド」からの影響のような気がしてなりません。
こうしたストーリーの既視感に加え、
構成面の問題として、
プロット(ストーリーの骨格)とキャラクターの見せ方においての、
バランスの悪さも、
見ていて目に付きました。
本作は、
視聴者の感情移入を促すためか、
どこにでもあるのような、
平凡な家庭をストーリーの中心に据え、
1話目では、
ネコババした金を返すか、
返さないか、
という夫婦の葛藤を主軸に、
それぞれのキャラクターの心情を、
(表面上は)丁寧に描いていますが、
実際のところ、
その試みは上滑りしており、
夫婦の葛藤も心情も伝わらず、
ゆえに感情移入もできません。
原因は単純で、
本作はリアリティよりも、
プロットの面白さを優先しており、
ストーリー先行の嫌いに陥っている点にあります。
たとえば、
作中の冒頭、
主人公一家が乗る車と強盗犯のバイクが衝突事故を起こし、
そのさい、
息子が金の入ったバッグを見つけ、
親に内緒でネコババするのですが、
個人的に感じたのが、
子供が大金をネコババをする、
というリアリティとしての不自然さです。
おそらく、
今後の展開から逆算し、
子供の犯した罪が発端であったほうがいい、
といった作り手の思惑があるのでしょうが、
プロットを優先する余り、
リアリティが煽りを受ける形となり、
結果、
キャラクターの行動に説得力を感じないシーンになっている、
と個人的には感じました。
あるいは、
その後、
息子のネコババした金を、
父親が返そうと警察にいくことになり、
そこで父親が、
犯罪を犯して警官たちにフルボッコされる少年を目撃し、
息子を同じ目に遭わせなくない、
と考えたことで、
金を返すのをやめ、
その場から引き返すのですが、
このシーンに関しては、
リアリティがない、
とはっきり断言できます。
子供といえども罪を犯せば酷い目に遭う、
という露骨な説明描写に加え、
親しい仲にある刑事がいるにも関わらず、
あるいは、
金(の入ったバッグ)の存在を忘れていた、
などの言い訳が成り立つにも関わらず、
大事になることを恐れて金を返さない、
父親のそうした心理がよくわからず、
ストーリーを押し進めたいという作り手の都合が先行した、
無理のある展開といわざるをえません。
つまり、
本作の持つプロットだと、
どうしてもリアリティの粗が目立つため、
そのプロットに沿う形で、
金を返すか返さないかの葛藤など、
主人公夫婦の心情を、
丁寧に描こうとしたところで、
そもそもリアリティの不足が邪魔するので、
視聴者が主人公に感情移入するのは、
不可能だというのが、
自分の考えです。
したがって、
大金をネコババし、
葛藤する主人公夫婦に対して感情移入させるためには、
プロットへの固執を捨て、
リアリティを損なう箇所に関しては、
見切りをつけなけばなりませんし、
もしくは、
プロットを省略し、
キャラクターに時間を割く手もあります。
本作は、
以下のように、
プロットに重きを置く余り、
(あるいは、
プロットに自信がない裏返しなのかもしれませんが、)
必要以上にプロットがまどろっこしくなっており、
瀕死の強盗犯が車を強奪し、
そこには息子が乗っており、
息子が金の存在に気づき、
息子が金をネコババし、
その金を母親が見つける、
といった、
夫婦が金をネコババするに至るまでの間、
表現としての潔さを感じない、
冗長な展開が続くことがわかります。
もちろん、
そのように描くことで面白くなったり、
リアリティが担保されるというなら、
まったく問題ありませんが、
そうはなっていないように見えるので、
くどく描く必要はありません。
それならば、
どの道、
いくらあがいたところで、
リアリティとしては不自然なのだから、
省略できるところは省略し、
このほうがシンプルで、
時短になりますし、
本作のプロットの勘所と思われる、
・悪党の金をネコババする
・息子は両親が金を返したと信じている
の二点は押さえています。
そしてプロットの省略によって余った時間を、
プロットではなくキャラクターを主体とした、
たとえば、
主人公夫婦の日常パートなど、
視聴者から共感されるようなシーンに費やし、
主人公夫婦への感情移入を促すことで、
本作が抱える、
ストーリー先行の欠点を補う、
そうしたバランスの取り方もありますし、
それがいちばん、
本作のストーリーに適した構成だと思いました。
本作は、
ストーリー先行の結果、
不必要にまどろっこしいプロットと、
感情移入できないキャラクター、
の二つの欠点に陥っており、
そうした意味で、
構成力にやや難のあるストーリー、
と指摘できるかと思います。
冒頭でも触れましたように、
上記はWDRプロジェクトが掲げていたスローガンです。
再三の前置きになりますが、
まだ一話の段階なので、
この先、
回が進むに間につれ、
オリジナリティが見えてくる可能性はあるとした上で、
個人的な憶測では、
一話を見た限り、
題材こそ異なれど、
構図という意味では、
「ブレイキングバッド」を強く意識した、
そうしたストーリーになっている気がします。
そしてその場合、
すでにあるもの、
二番煎じのものが、
海外で通用するとは、
自分は思えません。
「3000万」関連の記事を読むと、
海外の手法やストーリー理論によって生み出された作品、
と強調されていますが、
海外ドラマみたいな日本のドラマと、
海外に通用する日本のドラマ、
はまったく異なります。
世界を狙うのであれば、
海外ドラマのアレンジでは決してない、
真の意味でオリジナルを書ける、
脚本家ないし、
脚本チームを作ることだと思いますし、
何より、
「ブレイキングバッド」を知らなかったり、
洋画に馴染みのない、
そういった層をターゲットとし、
洋画や海外ドラマへの知見や、
海外で学んだストーリー理論を使い、
洋画や海外ドラマの模倣を行うのならば、
「刑事コロンボ」が元ネタの「古畑任三郎」をはじめ、
外国産のものを日本に持ち込んだ三谷幸喜がそうであるように、
今後評価が得られるとしても、
国内が限界なのではないでしょうか。
それはWDRが掲げたスローガンとは、
正反対をゆく、
世界へと目が向けられていない、
日本人による日本人のための作品であり、
結局のところ、
内向けのものに終わるのでは、
と思った次第です。
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