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ストーリーはドライブに似ている

面白いストーリーとは何か。

脚本を書く者であれば誰もが繰り返し考えることだが、僕は、

書き手の持つテーマをストーリーを使って最も効果的に表現したもの、

が面白いストーリーだと考えている。

つまり、テーマなくして面白いストーリーは生まれない、というのが個人的な意見。

ストーリーとテーマの関係については色々な方が的を得た例えで説明しているのだが、

最近車の免許を更新した僕としては、ドライブ未経験ながらあえてドライブで「ストーリーとテーマ」を例えてみることにした。

助手席に乗ったつもりで最後まで付き合ってほしい。


ケース①

マッチングアプリで知り合った男と待ち合わせしていると一台の高級車が颯爽と現れた。

車から出てきた男は完璧なエスコートで女を助手席に乗せる。

高級車と紳士な男。
女は期待に胸を膨らませる。

ドライブ中も男は抜かりがない。

華麗なドライビングテクニック。
車内に響くセンスのいいBGM。
窓の外の美しい風景。
縦列駐車も男にとってはお手の物。
バックで駐車する時の仕草が映える。

女は大満足だった。

が、男はその後もドライブを続け、一通り走り終えると女を家まで送り颯爽と去っていった。

女はきょとんとしたまま車を見送った。

ドライブは最高だったけど、
目的地のないドライブの意味って何だ?


テーマがない

テーマのないストーリーを目的地のないドライブで例えてみた。

このタイプの代表的な脚本家に三谷幸喜がいる。

アメ車を日本流にカスタマイズして、デザインはカッコいいし、車を走らせればドライビングテクニックは一流、エスコートも完璧。

だけど、その辺の道をグルグル回っているだけっていう。

ドライブそのものは楽しいが、
ドライブが手段である以上、目的地にたどり着いて初めてその楽しさは成立する。

テーマのないストーリーはあてのないドライブのようなもので、鑑賞後に空しさが残る。

この手のものはコメディに振り切った作品に当てはまるのはもちろん、

ピークを過ぎた書き手の作品にも時折見られる。

これは作家として書きたいことを書き終え、
技術だけで書いていることが理由だろう。






ケース②

後日。女はマッチングアプリで知り合った別の男と待ち合わせをしていた。

男曰く、美しい夕日が見れる絶景スポットを知っているらしい。

女が期待していると男が現れた。

徒歩で現れた男を見て女が首を傾げていると、男が一言。

「切符代は僕が出すよ」

電車移動だった。

電車を乗り継ぎ、絶景スポットに到着した二人は夕日を眺めた。

確かに夕日はきれいだ、と女は思った。

しかし、帰りも電車なのだと思うと夕日の眩しさが目に染みた。



ストーリーがない

テーマはあるがストーリーがない。

このタイプの映画監督にクリントイーストウッドがいる。

イーストウッドの作る映画は観念的な作品が多く、

例えば「パーフェクトワールド」の、テーマが剥き出しになったストーリーを見れば、

そのドライビングテクニックのひどさは一目瞭然で、通勤の苦痛に等しい。

ストーリーはドライブであって通勤であってはならない。

この手のものは脚本を書き始めたばかりの初心者の作品にもよく見られる。

書きたいテーマはあるがストーリー技術が追いつかないがためにテーマが剥き出しになってしまうのが原因だ。

車の例でいうと、行きたい目的地はあるのに移動方法がわからない状態だ。

その場合は頑張って免許を取るしかない。


少し話はそれるが、

「テーマに偏ったストーリー」を突き詰めると寓話というジャンルになる。

ご存じの通り、寓話とはストーリーを用いて教訓を説いた話だ。

寓話は映画やテレビドラマと違って、ストーリーを教訓を説くための手段としてあからさまに割り切っている(ことがほとんどだ)。

学習マンガや進研ゼミのマンガなんかもこのタイプで、

これらのタイプはテーマや主張がハッキリしている一方で、道中のストーリーを楽しめないという欠点がある。




ケース③

後日。女はまた別の男と待ち合わせをした。

やってきたのは高級車。
そして紳士。

女は期待した。

運転中のドライビングテクニックも一流。
バック中の仕草もよし。

ドライブだけで終わってしまうのでは、という女の不安も杞憂に終わり、着いた場所は美しい夕日の見える絶景スポット。

まさに完璧。

二人は寄り添いながら夕日を眺めた。
そこで女はふと思った。

確かに夕日はきれいだ。

でも、夕日のベストショットはこのアングルではない気がする。
だとすると、もっと別のドライビングルートがあったのではないか。

そんなことを思ってしまうのは、わがままなのか?



テーマを落とし込めていない

テーマもストーリーもあるが、ストーリーにテーマを落とし込めていない。

このタイプの映画監督にポンジュノがいる。

絶景スポットを知っていて、かつ一流のドライビングテクニックを持った書き手を思い浮かべたとき、

テーマの深さとストーリー技術という意味では是枝監督かポンジュノがいい線をいっていると思う。

ただし例にあげたように、テーマを完璧に表現するにはもっとベストなストーリーがあったのではないかと、

言い換えれば、ストーリーでテーマを語り切れていない、

そこが若干惜しい。

ポンジュノ作品は好きなので、今後のドライビングテクニックに期待したい。




ケース④

後日。女はマッチングアプリで男と会うのはこれで最後と決めていた。

男は軽自動車に乗ってやってきた。

女はガッカリしたが、
いざドライブをしてみるとドライビングテクニックは上々。
バックの仕草だって悪くない。

やがて目的地の絶景スポットに着き、
二人は夕日を眺めた。

夕日は絶景というわけではなかったけれど、
この瞬間、このアングルでしか味わえない美しさがあった。

女は大満足し、その後二人はホテルへチェックインした。



テーマを落とし込んだストーリー

テーマもストーリーもあり、かつ、ストーリーにテーマを落とし込んでいる。

「キサラギ」における古沢良太だ。

この作品はポンジュノのような決して深いテーマではないし、ストーリーのタッチも軽いのだが、

ストーリーでテーマを表現しているという意味では最高のドライビングテクニックを見せている。

ちなみに映画を観た方ならわかるが、この映画に欠点があるとすれば続きを匂わせるラストシーンだ。

ドライブで例えると、完璧なドライブのあと、絶景に見とれている女へ、

「もっといい絶景スポット知ってるぜ」と呟くようなものだ。

そこは沈黙でいい。





いかがだったろうか。

例にあげたうち、面白いストーリーだといえるのは③と④で、

(深いテーマを描くことよりも、テーマを落とし込む技術が脚本の本質だと個人的に考えているので)この記事では④を贔屓目に扱った。

もちろん究極形は③と④が融合したもので、

書き手のライフワークに裏打ちされたテーマを類い希なる脚本術でストーリーに落とし込んだ、

そんな作品なのだが、
今のところ出会っていない。

(いい作品があったら教えてください)


最後に、

面白いストーリーとは何か。

それはドラマとは何かと言い換えることもできる。

テーマを見据えたものでありながら、そこに至るまでの道筋が手段なのか目的なのかわからなくなるくらいフルスロットルで疾走するストーリーを指して、ドラマと呼ぶのだと僕は思う。

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