アメリカの子育て・教育101~はじめに
各地で子育てに忙しいみなさま、大変お疲れ様です!
アメリカの市民図書館で借りて読む
「窓ぎわのトットちゃん」
最近、近所の図書館の日本語コーナー(アメリカの田舎町の図書館ですが、司書さんのおかげで日本語コーナーが充実しています。子供向けの本も割とたくさんあります)で、「窓ぎわのトットちゃん」を借りて読みました。
私が中学生のころにベストセラーになった本で、最近出版40周年記念で話題になったこともありましたが、今までちゃんと読む機会がなかったのです。
今回初めて、トットちゃんこと黒柳徹子さんの通っていた「トモエ学園」の創設者で校長先生の小林宗作先生が、リトミックを日本に紹介した人でもあること、そして子供たちの自由な学びの場だったトモエ学園には、毎日リトミックの時間があったこと、また本の挿絵はすべて いわさきちひろ さんの作品で、黒柳さんがいわさきちひろ絵本美術館に通って、本の内容にあったイラストを少しずつ原画から選んでいったこと などを知りました。
この本は、表紙も印象的ですが、手に取って本を開けるとまず扉と、目次のイラストの美しさに目をひかれます。本文を読み始める前から、本の世界に捉えられ、引き込まれていくような魅力が醸し出されています。
とにかく黒柳さんのトモエ学園に対する、深い思いがストレートに伝わってくる本でした。
アメリカの子育て・教育の記事なのに、なんでトットちゃんのことを書いているのかというと、以前から、日本の子育てや教育に関する文章や投稿を読んでいると、よく「アメリカでは」「オランダでは」「欧米では」というように、他国や他地域が比較対象として出てくることがずっと気になっていたのです。
この文言は大抵、日本の教育ももう少しそのような国々・地域のように変わってほしいという文脈で出て来ます。
それでまた、そういう言い方への反応で日本を擁護する意見も見られると思うのですが、そういうことに時間を使っているのはもったいない気がします。
もちろん、アメリカならではの学校の良さとか、ごく一般論であるのは分かりますし、日本から出たからこそ、気づくことはたくさんあって、それは個人の経験として貴重です。
日本で当たり前だと思っていたことがアメリカでは違った、ということは今でも、色々あるということは分かります。
日本の学校で大変な思いをしていたお子さんが、海外に出たら学校に行くようになり、生き生きしたという話も最近多いので、確かに日本の教育には大きな問題もあるのかな、とも思います。
でも特に学校教育や子育てはどこでも家庭、地域、年代によってもかなり変化しているので、例えば「アメリカではこのような教育をしていますので」的な文章は注意して読んでいった方がいいんです。
私も在米なので、ついついアメリカではこうだという視点で考えがちかもしれません。だからこれは自戒の意味も込めて書いています。
日本にも、戦争に向かっている時代にトモエ学園があった。つまり子供中心の教育論も、実践も、以前からあったということです。たった1例かもしれませんが、ちゃんとあった。だから、今の日本の状況が(私は詳しくは知りませんが)海外と比較してどうこうというばかりでなく、日本の中でできることや今の、あるいは昔あった良い実践、よいところをもっときちんと取り上げて、それを広げていくという視点も大事なんじゃないかと思います。
トットちゃんの本が瞬く間にベストセラーになったころ、つまり私が中学生だったころは、日本の学校は大いに荒れていました。
近所の中学校でも校舎の窓ガラスが割られる事件があったことを覚えています。
生徒がそのように荒れることは最近は少なくなったと思います。その代わりにどんな問題がでてきたのか? 例えばどうして深刻ないじめの問題が繰り返されるのか?
そのような荒れていた時代にトットちゃんの本が売れたことの意味は何なのか。
教育問題って、自分の子供や自分自身の経験で、だれでも何かしらの思いがある。
でもそれだけに基づいて教育を考えていったら、過去のあやまちや問題点の根本的原因を見誤ってしまうこともあるのではないでしょうか。
何十年も前から、日本の研究者も研究費であちこち海外に出かけて、調査・研究し、報告をしたはずです。
その成果はいったい、どこでどのように活かされているのでしょうか?
アメリカのインクルーシブ教育の例
例えば、アメリカではインクルーシブ教育が盛んで、障がいがあるからといって別の教室や学校に行かされることはない、という話は最近、よく聞くのではないかと思います。
私もこんな↓記事を書いたこともあります。
でも、最初からそうだったわけではないのです。
障がいを持った子の親が、近所の学校に皆と一緒に自分の子を通わせたいと思って、闘って、闘って、勝ち取った権利なのです。
上の記事でも少し書いていますが、重度の障がい児専門の学校も、少ないですがアメリカにもあります。
実は2018年には、カリフォルニアの州都サクラメント近郊のそのような学校で、重度の自閉スペクトラム症の子供が身体を拘束され、死亡するという痛ましい事件が発生しました。
この家族は実は、私の地元のデービス在住だったということもあり、私もとても驚きました。
最近、この学校の責任者らが過失致死の疑いで訴追されると報道されていました。
これは私立学校でしたが、実はこの子は、デービスの学区ではその子のニーズに対応できないということで、デービスの公立学校からその学校に転校していたのです。
つまり、アメリカでも全ての障がい児のニーズに対応できているわけでもなく、そんな悲惨な事件が発生することさえあるのです。
アメリカの子育ての4つの型
アメリカの子育ても、今でこそ「ポジティブ」な、「子供目線」のスタイルが主流と言えると思いますが、昔からそうだったわけではありません。
アメリカで子育てを説明する際には、4つの型に分けられることが多いです。
1.厳格型(Authoritarian)
2.支援型(Authoritative)
3.迎合型(Permissive)
4.無関心型(Uninvolved)
日本では子育てを6つの型に分けた研究が知られているようです。
上の型の名前は、下の記事で使われていたものを参考にしました。
英語圏では、子育ての4つのタイプはとても良く知られていて、ググればいくつもの解説サイトがヒットします。
代表的なのはこんなの↓です。
でも日本語ではほとんどヒットしない。
おもしろいですね。
それで、アメリカでも(つまりはいわゆる「西洋」「欧米」でも)、もともとは厳格型だったといわれてます。
そして、この中では2番目が今は主流だけれども、そこがさらに枝分かれしてきている感じです。
WBCも2番目の支援型の一派?かなと思います。
このような違いを意識しつつ、アメリカで変化を続ける子育て論・子育て感について、ぼちぼち書いていきたいと思います。