「何者か」は「無限」
8歳になる息子が、ヒーローアカデミアというアニメを見始めたとき、しきりに「僕はヒーローになりたい」と言い始め、さらに「僕も個性が欲しい」と言い出した。
ヒーローと個性、それぞれの言葉が持つ本来の意味を必死に説明してみたのだけれど、「僕には個性がないから」とゾッとする言葉を連発していた。(なんとか段々分かってきてくれたが)
おい、君は十分個性があるんだぞ
子どもが「ヒーローになりたい」という気持ちを抱くのは自然な流れで、それがいつしか大人になる過程で、「成功者になりたい」、「一角の人間になりたい」、「何者かになりたい」と進化していく。
「何者かになりたい」は捨てたはずなのに|やまだくにあき @kun1aki #note
Twitterでやまださんの言葉をいつも拾い読みしながら、たくさんの「へぇ」をいただいているのだが、今回のIVSでやまださんが感じたこのnoteから色々と私もハッとさせられた。
「〜100回、200回、300回と自己紹介をするうちに、一度は捨てたはずの「何者かになりたい」という気持ちが、浮かび上がってくるをの感じました。」
これってまさに「言霊」だなぁと思った。
自分の口から出る言葉の霊、というか術にすっかり踊らされるワケ。さらに
「もっと、もっと、もっと「何者かになりたい」と願うことで、自分が心の底から善いと思って始めた1つ1つの事業や事柄が、まだまだ足りないしょうもないものであると思ってしまうことです。」
と続けていた。
私自身ライターという言葉を司る仕事をする中で、最近コトサラ自分の能力の評価が二分していることに直面したりして、モヤモヤが止まらないことがあった。そんな時、
「私にはどんな個性があるんだろうか。どんなヒーローになれるんだろうか」と思ったりしていた。
(完全にヒーローアカデミアに精神乗っ取られてる)
一つ一ついただいているお仕事や書く機会をこれでいいぞっと思う形に仕上げて納品しているが、いつも不安に包まれる。もちろんそれが自分を高めるきっかけにもなっているが、自分を常に卑下していることにも繋がっている。
現状のマイナスばっかりを見つめていることに気づいて愕然とした。
不満なんて持つべき理由が1ミリもない状況で生きているのにだ。
一体私は何を考えているのだろう。
ただこの夏、息子たちを米国のLakers Camp(バスケのキャンプ)に送り込んで、母としての一つ大きな気づきがあった。
息子たちの母ちゃんは私しかいない。
今更当たり前なことなのだが、私が目指すべき方向は、尊敬を集めるジャーナリストでも、本がバカ売れするライターでもなく、息子たちがすげ〜っと思ってくれる「ヒーローな母ちゃん」なのかもしれないなと。
そういえば大学時代の同級生が、将来の夢を
「日本一の胆っ玉母ちゃん」と言ったのを思い出す
周りの同級生たちが、男子に負けず、商社だのメーカーだの、代理店だのと言っている中、大手の一般職について、一生懸命働き、数年後素敵な旦那さまを見つけ、惜しまでながら退社し、3児の母となり、今は子育ての傍ら、住んでいる町のコミュニティ活動にめちゃくちゃ積極的に参加して、ボランティア活動しているそうだ。
マジで「何者か」になってる。
肩書はいつまでも
「主婦」
だけどだ。
女性の人生、実はとてつもなく自由だと思うのは
私だけだろうか
「何者か」になる方法は身近なところにあるじゃん
そう思ったらまた毎日が違って見える。
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