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人生+++(プラスプラスプラス):肩書きは一つでは語れない

#自己紹介

初めまして。ジャーナリストの寺町幸枝(てらまちゆきえ)です。funtrapという名義で、長年アパレルのセールスや、メディア制作のお手伝いもしております。

今回改めて「自己紹介」というお題でnoteを書いてみることにしました。タイトルに書いた通り、私の人生はいつも「+」だらけで、「兼」という言葉がぴったり。

遡る形式で、今から過去を振り返った時、私の肩書きがいかに増え続けているかを知っていただけたら嬉しいです。

「若返りたい!」という人の声も耳にしますが、私個人としてはもっと先に進みたい、もっと新しいことに挑戦したい派なので、これからさらに年取るのが楽しみな今日この頃です。

40代:現在の肩書き

では早速、いま現在の私の仕事=責任があることはなんでしょうか?

・外国人(台湾系アメリカ人)を夫に持つ日本人妻
・2人の男の子のママ
・フリーランスのジャーナリスト
・フリーランスのライター *ジャーナリストとライターの違い下記参照
・フリーランスの翻訳家/リライター
・広告代理店のメディア制作アドバイザー

・NPO法人の理事(在外ジャーナリスト協会)
・平日朝 6:30〜Clubhouseで読書のルームを運営するモデレーター
・ミニバスケットボールクラブの保護者代表

つい先日まで、これに私立幼稚園のPTA会長というのが加わっていました

と、こうやって書いてみるとまぁいろいろやっています。厳密には、長男の学校のPTAでも、保護者のクラス代表ということもやっていますがまぁこれはコミットしつつも波のある業務なので、あえて肩書きには書かないとして、こんな風に「兼務上等」と言わんとした状況です。

さて、これだけのことをやっていると時間のやりくりは全くもって凄まじい状態のこともありますが、実は兼務しているからこそ面白くやれていることも多いのが現実です。お金にならないボランティアの仕事をやるからできること、教えてくれる世界があるのも事実です。ちなみに、太字部分が対価が発生している部分。それ以外は、特にお金を生んでいるわけではありません。

でも、私にとってこの全てをやっていることで、太字の仕事に厚みと深みが出ていることは確かです。

では少し遡ってみます

30代:米国でショールームをしていた頃の肩書き

26歳で渡米し、36歳で帰国するまでの10年間で、私はこんな感じの肩書きいになっていました。

・台湾系アメリカ人を夫に持つ日本人妻
・男の子のママ
・ロサンゼルスで日本のブランドや、フィットネスウエアブランドを販売するセールスマン
・日本のファッション誌やファッションブランドのLAコーディネーター(リサーチャー)
・米国在住のフリーランスの日本人ライター
・フリーペーパー作成コーディネーター
・LA三田会の事務局

このLA在住時代には、短期的なものとして、「映画製作のアシスタント」みたいなことをやったり、「日系テレビ局の製作アシスタント」のようなこともやっていたことがありました。

仕事として、生産現場から、メディア経由でPRする現場まで、本当にファッションの世界のあらゆる側面の仕事に関わることができたのも、この時代です。

結局肩書きにはなりませんでしたが、当時大人気だった日本の109のブランドの米国法人立ち上げのお手伝いを短い間させていただいたこともあったなぁ。この時の出会いがご縁となって、別のお仕事を一緒にする機会ができた方もいたりします。

さらに、南カリフォルニア中をローカルのセールスマンとして車で走りまくっていたことは、私の地理的感覚と、ドライビングスキルを上げてくれただけでなく、「度胸」と「ビジネス感覚」に基づく「営業力」をたっぷり磨き上げてくれました。

当時はまだオーダーがFAXで届く時代。携帯電話からブラックベリー、iPhoneと変化を遂げていく中で、仕事のやり方がどんどん変わっていくことを体感しながら学んでいた日々でした。

当時、「Hysteric Glamour」さんが、やはり日本人のセールスマンを一人LAに置いていて、丁寧に営業活動されていたのですが、なかなか米国で火がつかず、日本では当時飛ぶ取り落とす勢いだったブランドが、海外だとこんなにも大変なんだ、ということを目の当たりにしました。でも、同時に、私がレップしていたブランドの「SMO」や「ScoLar」など、日本で売れているどうのこの関係なく、感性がピピっと合ったブランドに対して、バイヤーはとことんフェアーでオープンに買ってくれるその気質にも感激したのでした。

ちなみに、ヒスの日本人のセールマンの方(お名前忘れてしまった)には、当時紹介を受けて1度お会いした記憶がありますが、当時はSNSがあるわけでもなく、その後馴れ馴れしくご連絡するというのもどうも気が引けて、結局再会せずでしたが、当時の苦労話しなんか今一緒にできたら嬉しいなぁなんて思う今日この頃です。(→こういう振り返り、かなりオヤジっぽいなぁ、わたし)

20代:最初の肩書き

そして、最後に一番最初の肩書きに戻りましょう。慶應義塾大学でマスメディアについて研究し、卒論ではメディア論を専門にする教授に無理言って、「流行論」についての論文を書かせてもらったという強者でした、私。

ちなみに、卒論のテーマは「情報と流行に関する一考察」で、一昨年書籍化してみましたが、留学直前、この論文を大好きなエッセイストの光野桃さんに読んでいただき、お手紙でお返事までいただいた時には、人生何が起きるかわからないいと思ったものです。

大学時代から、ファッションの世界に憧れていたこともあり、友人の勧めで、まずファッション誌のアルバイト口を探すことにしました。そして当時私的に最もイケてると思っていた光文社の「JJ」という雑誌に運よく拾っていただき、アシスタントライターとして数本、自分だけで取材して記事にさせてもらったのが2本。実質2年弱の短い間ですが、取材のイロハから、ファッション誌ができる現場について一通り学ばせていただきました。

しかし、就職活動では第一志望だった総合商社の総合職(繊維部門希望)に落ちまくり(ちなみに当時女性の総合職採用率は、100人中10人というような状況で、結局母校の同期の女友人たちと一つのポジションを争うという醜い状況でした)、その後受けた総合アパレルの営業職にも受からず、結局アパレルと金融コンサルという不思議なことをしているベンチャー企業に就職することとなりました。

ですが、この会社との出会いがなければ、その後私が渡米することもなかったでしょうし、ファッションやメディアの仕事を今のように自由にやり続けることもなかったように思います。

というわけで、20代の肩書きは
・ベンチャー企業のアパレル部門のマーチャンダイザー(MD)
・ベン
チャー企業のアパレル部門のプレス担当(PR)

ちなみに、当時採用された時はMDという役職でしたが、自分でPRも名乗るようになりました。というのも、アパレルブランドのために、メディア向けのプレス担当の重要性を感じ、仕事をどんどん作っていったからです。いつしかPRの仕事にとても興味を持つようになり、渡米前にはWAGの代表の伊藤美恵さんが開いた「Mie塾」の2期生として参加させていただいたりもしました。

ライターとジャーナリストの違い

ところで、私は今「ジャーナリスト」という肩書きで執筆をさせていただくことが多いのですが、「ジャーナリストとライターとどう違うの?」という質問、時々受けます。

この2つの肩書きについてでも、世間でもいろいろと言われていることなのですが、個人的には「ジャーナリストは、自分の視点で社会問題やニュースを見つめ、それについてのオピニオン(意見)も明示した形で情報を発信する人」それに対して「ライターは、ニュースや出来事に対して、客観的な情報をベースに、読み手がわかりやすい文章を持って記事を作成する人」という定義です。

ちなみに、私はいわゆる「記事広告」のお仕事をいただくこともあるのですが、このようなお仕事の際には、肩書きとして「テキスト(text)」や「文」、あるいは「ライター」という肩書きをクレジットしていただくことが多いです。

一方、自分の企画で記事を書かせていただくオルタナや共同通信の47Newsなどには、基本的に「ジャーナリスト」の肩書きで、書かせていただいています。

お仕事をする際のスタート時点が全く違うので、肩書きとしては2つ別物と考えている理由、おわかりいただけましたか?

まぁ随分長々と書いてみましたが、改めて私はこんなことをやっている&やってきたというのを遡る形式で自己紹介してみました。


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