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Article of the Day! バイエ・マクニールさん、これで本当にいいんですか?

おはようございます
朝からちょっと激しく驚きと怒りに満ちてしまいました

https://toyokeizai.net/articles/-/356071?display=b

昨日リリースされたバイエ・マクニールさんの東洋経済の記事。内容はアフリカ系の人たちの日本人に対しての怒りがひしひし伝わる内容です。筆者のマクニールさんをはじめ、日本に住むアフリカ系の人たちのフラストレーションは今、徐々に日本国内でも沸騰してきていると思います。

そんな中私が気になったのは、文章を書くことを仕事としているものとして、この文章に使われた「ぼく」です。文章のトーンを大きく左右する「主語」。英語はその点シンプルで「I」で全て済みますが、日本語は複雑。選ぶ主語一つで、全体の雰囲気が変わります。さらに「ぼく」と「僕」でも違う。

先日試聴したパネルディスカッションにマクニールさんが出席されていたのですが、なぜ東洋経済は、彼が自分で書いた日本語だったとしても、「ぼく」と載せたのでしょうか。

日本で文章を書く時、「ぼく」と書くことでトーンが「カジュアル」になってしまうことを日本人だったらおそらく誰でも「感覚的に」分かります。子どもが作文を書く時、「ぼく」で良いのは小学生までではないでしょうか。

私が編集者だったら、まずその点について、ご本人に本当に「ぼく」でいいのか確認していると思いますし、もし本人がぼくでいい、と言ったとしても、私だったら「私」か「自分」の方がいいと思うと進言していると思います。彼の生声と主張を聞いた上でです。

彼の生声を英語で聞いた立場から考えると、私にはマクニールさんの「ぼく」はしっくりこない。むしろ「自分」とか「私(わたくし)」くらいの言い方がぴったりです。

この文章を読む人は、マクニールさんの生声を聞いたり、ましてや彼の英語を聞いて彼のメッセージを理解するチャンスは少ないと思います。

「ぼく」なんかじゃ子どもじみた言い方になってしまう。まして「ひらがな」!!!

もしこれ彼の英語の文章を日本語訳した人がいるとしたら、私は怒りです。「ぼく」にしたところで、話しが読みやすくなるわけでもなく、むしろこの文章のメッセージが軽んじられてしまう気がします。

ぼく自身、および世界の黒人コミュニティが感じている痛みについて「日本の人たちに説明してください」と頼まれると、ぼくはがっかりしてしまいます。

これが

私自身、及び世界の黒人コミュニティが感じている痛みについて「日本の人たちに説明して欲しい」と頼まれたら、がっかりするだろう。

私だったら、この文章を読む方が心に刺さります。

***6/14updated: マクニールさんのTwitterにオリジナルは英語だったというポストと共に、原稿が上げられていました!やっぱり印象全然違う、、、


#東洋経済 #バイエマクニール #日本語 #人種差別 #BlackLivesMatter

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