
【Y2K】夢と度胸とYahoo!Map
「えっ、いきなりハイウェイ乗らないといけないの。。。」
いよいよ始まったサンディエゴの語学学校生活。海辺の素敵な語学学校には日本人も大勢いたけれど、ヨーロッパからの留学生たちが多いように感じた。
日本人のほとんどが、10代あるいは私のように20代前半に対して、ヨーローパからの留学生は、仕事のヴァカンスを使ってスキルアップとバケーションを一石二鳥で楽しもうとやってきた人ばかり。ほとんどが、家族を置いてきているようだった。
初日の月曜の朝は、同じコンドに滞在中の日本人のチサと一緒にバスに乗り込む。彼女は数週間前にこのラ・ホヤに到着して、すっかり慣れた様子。
私は一挙手一投足彼女の振る舞いをまねるところから始めた。バスに乗ってからは、スクールまでの道をじーっと見つめる。
(地図を頭に入れなくちゃ)
予定では、今日の帰りに「車」をGetし、明日からはいよいよ車で通学する生活が始まるつもりだったのだ。語学学校の授業についていけるかどうか以上に、生活のベースを築くために、「とにかく足を手に入れなくっちゃ」。そのことで、朝からソワソワしていた。
語学学校選びをした時、提携しているレンタカー会社から、手ごろに車をレンタルできると書いてあったことも、このスクールを選んだ理由の一つ。
昼過ぎに、突然陽気なアジア人女性がツカツカとクラスに入ってきた。どう見ても彼女は日本人だ。その服装といい、雰囲気といい、ここカリフォルニアにまだそんなに骨を埋めている感じのしない日本人のカオリさんは、「今日の帰り、レンタカーをするつもりの人、手を挙げて!私がオフィスまで車で連れて行くから」とさくっと英語で話しかける。
私と同じクラスにいた、40代くらいのスイス人のおじさんや、少し年上の金髪のイタリア人など、ヨーロッパ人たちがさっと手を挙げる。どうも日本人で車を借りようと考えているのは、私だけみたい。
(オフィスに連れて行く?車で?ここのスクールから遠いのだろうか)
恐る恐る「オフィスってどこにあるのですか?」と聞いてみる。「ここから車で2、30分ってとこかな。ダウンタウンの方にある」と言い出した。
えっ?ダウンタウン?ちょっと待って。私がいるのはラ・ホヤ。私はダウンタウンで車を借りて、ここまで自分で運転して帰ってこないといけないってこと???
一瞬でパニックに陥いる。
車の運転は好きだし、おそらく得意な方だけれど、私はカリフォルニアのハイウェイの車のスピードに、毎回驚かされていた。左ハンドルの車だって運転したことがない。そんな私がダウンタウンからハイウェイを乗り継いで本気で帰ってこれるのだろうか。
時はY2K時代。
スマホなんてまだ存在していない時代だ。ましてや私が借りようとしている「安いレンタカー」にGPSがついているわけがない。
真っ青になって、ドギマギし始めた私を見て、同コンドに滞在していたスイス人のおじさん留学生2人が言い出した。「大丈夫。僕たちにフォローしてきたらいいよ。ダウンタウンから同じコンドに戻ってくるんだからさ」
たった1日しか過ごしていないけれど、なんていい奴らなんだ(ハート)
頼しすぎる〜「ありがとう。そうさせてもらうわ」
でもこれは彼らが同じ左ハンドルの国からやってきた人だからといって
彼らの運転技術がAwesomeに上手なんていう保証は一切ないのだった
飛んだ早とちりだったことが、そのあとの彼らの運転の荒さが証明してくれる
カオリさんに連れられて、ダウンタウンの辺鄙なオフィスに辿り着き
必要書類にあれこれ書き込み、私が手にしたのは、コンパクトな白い日産セントラだった。
オープンカーを借りたスイス人オッサンずは、「Follow us!」と威勢よく出発した。私はカオリさんが書いてくれたラ・ホヤまでのハイウェイの乗り換え地図を助手席に置きつつ、とにかくオッサンずについて車を走らせる。
どんどんスピードを上げるオープンカー。「おいおい、私がいること忘れている?」と思いつつ、見失わないように必死でついて行く。
途中、I-54から805に乗り換える場面で、一瞬間違えそうになった彼らは、突然右の方にハンドルを切った。「ごめんごめん」と手を振りながら私にサインを送ってくれてはいたものの、危うく離れ離れになるところだった。
幸い、夕方に差し掛かり、車の流れがスローダウンしてきていたところだったおかげで、サインを出して車線変更する余裕はあった。でも私の背中はすでに冷や汗でぐっしょりだ。
「これで本当にコンドに生きて戻れるのかなぁ」
不安でしかない私を尻目に、前のブルーのオープンカーはご機嫌な様子。結局、陽がどっぷりくれる前に無事にコンドの駐車場に滑り込む。
しかし、この初日の「いきなりハイウェイ体験」が強烈すぎて、私はその後約2週間の間、ハイウェイを一切使わない生活をすることを誓った。
今考えれば、それは同時に自分の生活圏を狭める選択をしたことでもある。ちょっと損をしてしまったのかもしれない。でもあの時は、ハイウェイを使う生活をはじめて、生きて1日を終えられる自信がどうしてももてなかったのだ。
しかし、人は「火事場の馬鹿力」というのが本当に備わっている
私のドライブに対する自信がついたのは、まさに「背に腹はないられないい経験が為せたもの」
いよいよ日曜日からロサンゼルス、という日の前々日の金曜日
木曜日までに届くはずだったFIDMの入学書類が、語学学校からの帰宅時間のズレのせいで届いていなかった
毎日まだかまだかと待っていた書類は届かず、入り口のドアにぽろっと落とされていたDelivery Attempt Noticeのスリップに書かれた番号に金曜日ダイヤルした。
そもそもLAから日本に送られ、日本の母が送り直してくれた書類は、日曜日の集合時間や集合場所など重要な情報が全てまとまったセットだった
結局DHLのオフィスに電話をしたら「明日の土曜は配達はお休み。ただ、保管してあるオフィスまで取りに来れば、渡せる」と言い出した。オフィスの住所を聞き、場所を「Yahoo! Map」で調べてみると、レンタカー会社のあったエリア。またダウンタウンだ。
しかし、これがないと私の人生は始まらない。ルームメイトの台湾から来たララに声をかけ、私と一緒にDHLのオフィスに行ってもらえないかと相談する。2週間一緒に生活する中で、彼女とはすっかり気の合うバディになっていた。
英語がまだそこまで得意でないララのために、買い物や宿題など、これまであれこれ手伝ってきた。私が一人でダウンタウンまで行くのが不安と言いうことを聞いて、「用事もないし、喜んで一緒にいくよ」と言ってくれた。
とにかく、頭の中でシュミレーションをして、ルートを確認。幸いカリフォルニアのハイウェイのジャンクション(交差点)には、大きな数字と行き先が表示される仕組みだから、番号を唱えながら進むことにする。ララにもルートを共有し、プリントアウトしたYahoo!Mapを彼女の手に握らせた。
I-5 のラ・ホラ ヴレッジドライブから高速に流れ込み、ダウンタウンを目指す。ひたすら南下し、バルボアパークをすぎたあたりで、I-94に入り、I-15に入り、すぐの出口で下りた。幸いハイウェイからDHLの倉庫が目に入る。そのあたり位で私のテンションは最高潮。ララが同乗してくれているとはいえ、自分一人でルートを開拓し、ちゃんと乗り換え、初めての場所にたどり着けた。
「もう私は大丈夫。ここカリフォルニアでやっていける」
この経験が、その後セールスマンとして南カリフォルニア中を走りまくる幕開けになるとは、当時微塵も思っていなかった。
いいなと思ったら応援しよう!
