世界初の子供手当は、我が国日本
出生人数が77万人と過去最低を記録し、婚姻数も激減し少子高齢化が著しくなっている日本。
このような事態にようやく政府も動き出し、子ども家庭庁設立をはじめ対策に乗り出しました。
少子化対策や福祉国家を目指すのに、ハンガリーや北欧、フランスなどヨーロッパ中心に海外の対策を参考に政策を打ち立てたり提言したりすることが多いですが、実は世界初の子供手当が日本という事はほとんどの方が知らないのではないでしょうか。
そんな世界初の福祉国を目指した国(藩)が実は江戸時代の日本にありました。
世界初の福祉政策 日向高鍋藩 秋月種茂
今からさかのぼる事250年前、時代は江戸時代中期にそのような国(藩)が今の宮崎県に存在していました。
その名は「高鍋藩」。
石高は2万7000石と小さな藩で、代々藩主を継承していたのが戦国時代も生き抜いた「秋月家」でした。
その高鍋藩秋月家7代藩主が「秋月種茂」でした。
秋月種茂の名前を知っている人はほとんどいませんが、実はこの弟の名前を知っている人は多いのではないでしょうか。
そう「為せば成る、なさねばならず何事も」の一節と江戸時代、いや日本の歴史でも指折りの名君と言われケネディアメリカ大統領も尊敬していた、米沢藩主の上杉鷹山です。
その同腹の兄が秋月種茂なのですが、この秋月種茂が行った福祉政策は弟の上杉鷹山の改革に負けじ劣らずの画期的なものでした。
世界初の子供手当・子供を大切に
種茂が行ったのは、領内にいる子供の保護と子供を増やす政策でした。
その政策は
①子供の間引き(生まれた子供を殺す)の禁止
②大阪などから優秀な産婆を藩に招き子供産みやすくし安全な産み方を藩に伝授。
③子供手当を支給し領民を支援。
のまさに3本の矢。
今の日本では当たり前になっているような政策ですが、当時は封建社会・身分社会の時代。これだけ下の身分を含めた人たちに対して行う政策は江戸時代を通じても数えるくらいの画期的なものでした。
さらに、生まれた子供を含め人材を教育するのにも力を入れ、藩校「明倫堂」を創設し、武士階級の藩士だけでなく、町民や農民といったものまで入学できました。その影響で「教育の高鍋」という言葉も生まれ、「高鍋で学者ぶるな」というのが近隣諸国に広まるほど高鍋藩の人材水準は非常に高くなりました。
それだけ子供を含め人というものは国の宝という事をこの種茂は考えていたのだと思います。子供が増えれば国力も上がり、国の経済や生産も自ずから上昇していくのだと。
そんな先進的なことを考えていたお殿様が江戸時代にいたというのは本当に信じられないくらいです。
弟の上杉鷹山も「自分でなく、兄が仮に大藩の上杉家の当主になっていたならば全国に名が広まるくらい米沢(上杉家の領地)は繁栄していただろう」という言葉を残しています。
おわりに
少子高齢化社会の原因は多様的な側面が交じり合い、複雑な様相を呈し根本的な解決には程遠い状況が続いていますが、子供(人)を大切にし、子供(人)は宝といった精神は政治家を始め今の日本人には欠けているものなのかもしれません。どうしたらこの難局を突破できるのか。
その答えは以外にもすぐ身近な「歴史」に答えが隠されているのかもしれません。