大好きなヴァイオリニストの復帰リサイタルに行ってきました💕
先日の10日の日曜日の午後。東京・上野の文化会館に行ってきました。大好きなヴァイオリニストの、アテフ・ハリムさんのリサイタルのためです。
アテフさんは、エジプト生まれの、フランス国籍を持つヴァイオリニストです。エジプトに13年、フランスで29年生活し、ご縁あって日本に来られて、今年で29年目。来年で来日30年目になる、親日家です。
11年前の東日本大震災の折、エジプト・フランス双方の政府から、帰国命令が出たそうですが、アテフさんは、「東京は安全だ!」と、命令を拒否されたのだそうです。日本人の奥様と結婚されて、二人三脚で音楽活動をされています。チャリティコンサートなども、積極的に展開してこられました。
私がアテフさんと出会ったのは、たぶん15年前くらいです。たまたま新聞に出ていたリサイタルの招待券プレゼントに応募したら、当たったんです。四谷の紀尾井ホールが会場でした。初めて聴く、情熱的で人懐っこい音色に、一目ぼれしました。加えて、招待券のお礼も兼ねて、リサイタルの感想を手紙にして贈ったら、とても喜んでくださいました。そこからつながりができて、現在に至っています。
今回で20回目になるという、上野でのリサイタル。例年ですと、6月に開催なのですが、今年は7月。私はおや? とは思ったものの、「6月は、抑えられなかったんだな」くらいにしか思っていませんでした。上野の文化会館は、駅からもとても近いし、良いホールですから、人気も高く、抽選になることが多いのだそうです。
「アテフさんほどの方でも、難しかったんだなぁ。コロナ騒動もあるし・・・・」
開催の裏側を知らない素人の私には、その程度のことしか考えられなかったんですよね。だって、ファンからしたら、ともかく聴ければいいんですもん。
さて。プログラムは、オープニングにバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第一番」。そのあと、チャイコフスキーの「懐かしい土地の思い出」全曲と、大曲2曲。後半は、ラヴェルやマスネ、ラフマニノフ、ブラームスの小品と日本の歌のメドレーで、アンコールも含めて、11曲の熱演でした。
アテフさんの演奏は、名手でありながら、聴き手への心遣いを決して忘れない人懐っこさが魅力です。難曲であっても、仰々しく演奏したりしないんです。とても軽々と弾いてらして、素人が「自分にも、出来るかも?」と錯覚しかねません。
この「難しいことを簡単そうに」できることこそ、名手の証。素人の私、いろんな方の演奏を聴いてきて、数年前から、そのことに気づいた次第です。
演奏中は、修行僧のような厳しい表情のアテフさんですが、演奏が終わると、はにかむような笑顔を見せて、客席にお辞儀をなさいます。その対照も、私には魅力的だったりします。70歳を超えてらっしゃいますが、チャーミングなお人柄は、ファンを包み込んでしまいます。
このリサイタルは、バッハ以外ではすべてピアノの伴奏がつきます。今回は村木洋子さんという方で、小柄ですが、パワフルで、しかもアテフさんをしっかり支える演奏をされる方でした。
最近では、アテフさんは、リサイタルのオープニングにバッハの無伴奏ヴァイオリンの作品を演奏されます。バッハの作品自体が大好きな私ですが、アテフさんのバッハの深さは、群を抜いているように感じられます。
2年前のコロナ騒動の自粛期間に、このバッハの無伴奏ヴァイオリン曲全曲のCDを出されました。さっそく購入して聴きましたが、最初の一音を聴いた瞬間、全身が打たれたようになって、「なにこれ? なにこれ??!」と叫びつつ、何度も聴いたものでした。
そのアテフさんのバッハですから、最初の音から、じわ~っとしみ込んでくるのは当然としても、何か違う。いつものアテフさんの音色よりも、憂色が深い。「今の世情だから、アテフさん、しんどいのかも・・・・・」などと推測しつつ、聴き入っていたのです。
その後も、安定の名演ながら、何かアップテンポ気味で、私としては、ちょっといぶかしみながら、聴いていました。
このリサイタルシリーズでは、奥様でもあり、アテフさんのコンサートの企画なども手掛けてらっしゃる、森明美さんが司会をなさっています。演奏の合間に、演奏家たちに一息入れさせる役割も担う大切なMCです。
リサイタルも後半半ばになって、アテフさんが、この森さんに何か訴えています。森さんは、困惑気味にしてらっしゃいましたが、大きくうなずくと、客席に向かって語り始めました。
アテフさんが、今年2月14日のコンサートの折、心筋梗塞を発症されて、緊急手術されたこと。コンサートは、プログラムを変更して、なんとか終えたけれど、回復までに時間がかかったこと。最近やっと、ドクターからの許可が下りて、リサイタルに間に合ったこと。
だから、今日のリサイタルは、アテフ・ハリムの復帰コンサート第一弾だということ。加えて、2月のコンサートで弾けなかった(つまり変更して中止した)バッハを、今日のリサイタルで演奏したこと・・・・。
「皆様にご心配をおかけしたくないので」これまで沈黙を守ってきたけれど、見事に復帰できたので、「皆さんにお話ししたいと」、アテフさんが森さんに伝えてくれるよう頼んだということなのです。
もちろん、私も含めて客席は、絶句です。同時に、彼が2月のコンサートをやり遂げたその執念とプロ意識のすさまじさに、私は、鳥肌も立ちました。音楽の神様が、彼の思いに応えてやり遂げさせたのかもしれませんね。
そういう壮絶な打ち明け話のあとに演奏された、アテフさんの十八番でもある、ブラームスの「スケルツォ」。初めて聴いたときから、迫力もあり、大きなエネルギーもいただける大好きな作品ですが、今回は、こんなメッセージが聴こえてきました。
「皆さん、ぼくは大変な思いもしましたが、こうして、無事復帰できて、演奏できています。だから、今日聴きに来てくださっている皆さんも、いろいろあっても、きっと、大丈夫!!!」
私自身、ちょっともがいているところもあって、くたびれている部分もあっただけに、このメッセージにバシッ!と、背中を叩かれた気分になりました。文字通り、命を懸けて、聴き手に音楽を届けている彼の姿に、身体の奥底から力が湧いてくるような感覚でした。
大好きなヴァイオリニストが、私の知らないところで生死の境をさまよって、無事生還し、たくさんの聴き手の前で、素晴らしい演奏を繰り広げている!
奇蹟のような瞬間に立ち会えたのだと、ゾッとすらする思いにも襲われながら、痛感したのです。今これを書きながら、私の頭の中には、アテフさんの絶叫にも近いヴァイオリンと、それに呼応しながらさらにアテフさんを高めようとする村木さんのピアノの音が鳴り響いていたりします。
力強く打たれるピアノの鍵盤と、高らかに歌いあげる弦の響き。音楽の専門用語は使えないので(私の血肉になっていないので、付け焼刃はしません)、これ以上の表現はできないのがもどかしいですが、つくづく、コンサートは「一期一会」だと、改めて、痛感しました。
いつも以上に、終演後の拍手に力を込めました。そして、ともかく無事で、アテフさんがいてくださること、次のコンサートでまた熱演を聴けることを切望しつつ、会場を後にしたのでした。
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