名演を聴けるのは、決して当たり前なんかじゃないと気づいた夜
昨日、東京の上野にある東京藝大のコンサートホールである奏楽堂に、最愛のマエストロ・山下一史指揮の、藝大フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に行ってきました。
今年度、このコンビの演奏を聴くのは初めてでした。
「モーニングコンサート」といって、朝の11時から1時間ほどのミニコンサートでは、山下さんも何度もご登場でしたが、これはかなり以前に一度聴いたきりで、行っていません(これは、人気のシリーズコンサートでして、夜のコンサートに行くのが難しい方のためのもののようです。後は優秀な学生を共演者として呼ぶので、学生たちのモチベーションを上げる意味もあるようです)。朝が弱いうえ、1時間程度のミニコンサートでは、物足らないんですわね、私には。
山下さんが指揮の時以外は、藝大フィルの演奏会には行かないので、どうしても間隔があきます。好きなオーケストラではないので、やむを得ませんが、それでも、最近はいい感じになっている気もしていたので、楽しみにはしていました。
プログラムは、ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」(悲しみの聖母)1曲。90分休憩なしのコンサートです。
私はクリスチャンではないので、詳しいことはわかりませんが、息子であるイエスを亡くした母マリアの悲嘆と、そこからの慰藉を描いているようです。今パンフレットで確認したら、ドヴォルザークは、この作品を創っていたころ、相次いで我が子を3人喪っており、聖母マリアの悲嘆の姿に、自らの深い悲しみを重ねていたのだそうです。
ドヴォルザークの事情は今知りましたが、「スターバト・マーテル」の意味は若干知っていました。宗教的色合いが濃く、聖母マリアを神格化しているらしいと知って、敬遠していたのです。いろんな音楽家の同名の作品がありますが、ロッシーニのもの以外は、聴いたことがありませんでした(ちなみに、ロッシーニの「スターバト・マーテル」は、マリアの神聖さを卑小化して、オペラにしているという批判が強いようです。私はラジオで聴いただけですが、良いなぁと思うんですけれどね)。
どんなに宗教色が濃くても、取り上げる以上は、作品の持つ普遍性を描き出すのが山下さんです。しかも、共演する合唱団のリーダーでもあるらしい声楽科の主任の方は、「我が子を喪った母の嘆き」という普遍的な深い悲しみを表現することを、学生が表現してくれることを望んでいる旨の一文を寄せていらっしゃる。ならば、と、客席で演奏を受け止めるべく待ちました。
ですが・・・・・(>_<)
少しも、そういう感情は伝わってきませんでした。藝大に進学するほどの方々ですから、なるほどテクニックは見事なものがあります。けれど、♬一つ読めない素人がどんなに耳を澄ませても、合唱団からも4人のソリストたち(ソプラノ・アルト・テノール・バリトン。この方々も東京藝大の学生さんのようです)からも、切実な悲嘆の声は聞こえてきませんでした。
藝大フィルがいくらか表現している気もしましたが、それでも、テクニックでうまく演奏しているようにしか聴こえない。
「この人たち、喪失体験ないのかな??? 山下さんにはあるはずなんだけれど、学生やオーケストラに伝わってないのかしらん・・・・・(>_<)」
コンサートの前半は、もう演奏がまだるくて、睡魔に襲われてしまいました。山下さんの指揮のコンサートで睡魔がやって来るなんて、随分前に聴いたアマチュアオーケストラの演奏会以来です。リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」という長いシンフォニーでしたが、やはり何の感興もわかない演奏で、ウトウトしたものでした。
後半はティンパニの連打で、ちょっと眠気が覚めて、なんとか聴きとおしました。けれど、失望の大きさは否めません。アンケートに珍しく「ドヴォルザーク作品にあるはずの人間性は、クリスチャンでない私には演奏からは聴こえませんでした。残念」と書いて出した私です。
帰り道、モヤモヤを抱えてすっきりしませんでした。久しぶりのマエストロの指揮のコンサートの内容が、私には残念で仕方なかったからです。
落胆が大きかったからか、あまりおなかも空いていません。家に帰って、適当に食べて、少し本を読んで寝ました。相方が次の日仕事だったこともあって、アルコールはなし。まぁ、良いお酒にはならなかったでしょうから、幸いでしたかね。
そうして今朝。少しゆっくり起きた私の頭に、言葉が落ちてきました。
「この世に、当たり前はない。いくらお前が好きだからって、いつも名演が聴けるはずがないだろう?」
それを聴いて、すとんと腑に落ちました。山下さんの指揮なんだから大丈夫! と、いつの間にか過信というか油断していたことに。オーケストラの演奏の場合、どんなに指揮者が良くても、ソリストが良くても、或いはオーケストラが素晴らしくても、すべてのバランスが調わなければ名演にはならないのだ、という事実を忘れていた自分に気づいたんですよね。
千葉交響楽団と、常にレヴェルの高い演奏ができていること(ここ数年、特に!)。仙台フィルハーモニー管弦楽団と、久しぶりであっても見事な演奏を繰り広げられること。それらは、決して当たり前なんかじゃないのだと、改めて認識したのでした。
指揮者とオーケストラが、それぞれ不断の努力を重ねて、そのうえで相性も良いからこそなのだと、背筋が伸びる思いで、感謝したのでした。まさに、私は毎回奇蹟にたちあっているんだなぁ、と、思いも新たにしました。聴き手である私も、緊張感をもって、真摯に演奏に向き合わなくちゃ! と覚悟もし直したのでした。
今月下旬、仙台で仙台フィルを聴きますが、この指揮者は山下さんではありません。山下さんが指揮されるものもあって、迷いましたが、定期演奏会を選びました。どういう内容になるかはわかりませんが、いずれレポートするつもりです(両方聴ければよかったんですがね、本当は(^^;)。
愚痴になりそうで、つぶやこうかとも思いましたが、何だか書きたくなってテキストにしました。その選択、間違ってなかったようです。すっきりしました。
ここまでお付き合いくださったあなたに、心から感謝いたしますm(__)m💕💛
ありがとうございますm(__)m💕💛
寒暖差の大きな折です。くれぐれもご自愛くださいませm(__)m💕💛