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最後の帰省かもしれない旅 その1

ちょこちょこ書いていたのですが、先月の15日に、出身地の香川に、ほぼ30年ぶりに帰省してきました。

帰宅してから、どうも体調が落ち着かないし、疲れが抜けず、ぼんやりしていたら、5月になってしまいました。

先週の半ばに、久しぶりに昼寝をした折、不思議な夢を観ました。そこから、ようやく、楽になってきたので、書いておこうかなと思います。

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数年前から、何故か、香川にあるお墓のことが、気になり始めました。

今の家に引っ越してきて、翌年東日本大震災が発生したのですが、そのあたりから、神社仏閣に関心が向くようになったのです。それまでは、ほとんど興味もなかったですし、参拝する気も起りませんでした。それが、近くの氏神様にご挨拶に行くようになり、やがて、伊勢神宮や三峰神社などにも出向くようになりました(ここ数年は、コロナ騒動で、行けてませんが)。

そのことと関係があるのかどうかは、私にもわかりません。何がきっかけだったかは、忘れたのですが、香川に一度戻らねば、という気持ちが強くなってきたのです。

しかも、相方が数年前に夢を見て、「あんたが、一度香川に帰れば、(今抱えている悩みや問題は)解決するらしいよ」とまで、言うのです。夢の中で、誰かからそういう意味の伝言をされたようです。

極めつけは、昨年、私が父方の墓参りをする夢を観たことです。そこで、私は、すっかり荒れているお墓をぞうきんか何かで、ごしごし拭いていたのですね。

「これは、呼ばれてるのかなぁ???」

そんな気持ちになって、帰省する時期を考えるようになりました。当初の予定では、今年の2月に行くつもりでした。かなり歩くことになるので、汗かきの私には、寒いくらいの時期がちょうどいいように思われました。けれど、体調などの問題もあって、結局4月半ばになったのでした。

具体的に帰省の準備を考えるようになってから、私は父方の祖母の気配を感じるようになりました。誰にでも、祖父母は4人いるわけですが、私の場合、生まれたときには、母方の祖父はすでに亡くなっていて(母の子供のころに、なくなったそうです)、父方の祖父も、母方の祖母も早くに亡くなっていました。私が高校1年だった秋に、最後の祖母が他界したのですが、その祖母の気配を強く感じるのです。

しかも祖母は、私にどうしても墓参りをしてほしいようです。霊感などない私には、その理由もわからないままですが、ただひとつ気が付いたのは、今年は、祖母が亡くなって、ちょうど40年目だということ。祖母の享年がいくつだったのすら知らない不肖の孫の私に、彼女が何を望んでいるのか。わからないものの、なんだかワクワクもしました。

蛇足ながら付け加えると、帰省して、祖母を香川に戻さないと、我が家のインコたちが落ち着かない状態でした。ともかく、何もない空間に向かって騒ぐんですよね。後で、相方から聴くと、私がいない間は、静かだったようです。

少しでも旅費と時間を節約するため、夜行バスを使いました。東京~香川を走るバスは、便数は少ないながらもあって、割にギリギリで予約したのですが、なんとか間に合いました。帰りは、名古屋でコンサートを聴くことにしてあったので、高松から名古屋までの夜行バス。つまり、車中泊2日だったのですね。

実家もあり、お墓もある街は志度(しど)と言います。当初は、東京(新宿)から、高松まで乗って、高松から電車で志度に戻って、お墓参りしようと思っていました。ところが、ルートを観ると、志度で降りられるのですね。私が香川にいた頃は、夜行バスが走るような高速道路などはなかったですから、高速バスが止まる停留所の場所など知るはずもありません。

ちょっと調べると、JRの駅から、徒歩30分くらいの距離にあるとのこと。かなり迷ったのですが、志度で降りてみることにしました。祖母がそう望んでいるようにも感じたからです。

ただ、今の時代、本当にありがたいですよね。出発直前、不安だった私は、検索してみたんです。そうしたら、「高速バス志度停留所への行き方」という動画がありましたよ。私は停留所から街に向かうので逆にはなるんですが、これは、かなり参考になりました。

この動画のおかげで、私は、一切迷うことなく、お墓があるはずの場所までたどり着けました。
「もともと地元なんだから、当然でしょ?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。けれど、30年もたっていれば、記憶にある風景は、ほぼ変わっていると考えて、間違いはありません。私は、郷愁を感じるために出かけたわけではないので、失望とか幻滅などはしないで済みましたが、もうまさに”今浦島”状態。ただ、30年後の今も、頑張って続いているお店や病院の名前を見つけては、「まだ、やってたか・・・・・」と、安堵とも驚愕ともいえる感情に襲われました。結果的に、そうした存在が目印にもなって、「ここがあるのなら、もう少し行けば、あれがあるはず・・・・」などと古い記憶を頼りにもして、進んでゆきました。

高速道路を作ったことで、近辺の建物や住人には影響もあったはずで、観たことのないものも少なくありませんでした。ちょうど、時間が学校の通学時間帯でしたので、あちこちで、集団登校する子供たちと見送る親御さんたちを見かけました。
私が通った中学校の前を通りました。そこはあまり楽しい記憶がない場所でしたが、建て替えたようで、昔の面影は見当たりませんでした。
そこを横目にみながら、さらに歩いてゆくと、なだらかで大きな坂があります。昔、新聞配達をしていた時、勢いよく自転車で走り降りたものです。この坂を上がりきると、公務員住宅があります。その裏が、父方のお墓があるはずの墓地なんです。
公務員住宅だった建物は、おしゃれなマンションに変わっていました。どうも、裏から抜けられそうにありません。それで、今度は目の前の坂を下ってゆきました。つまり、ちょっとした峠になっているんですよね。
坂を下って、右に折れて、ゆっくり歩き始めました。この日(4月15日)は、あいにくの雨。バスを降りたときは、小雨だったのに、この辺りから、降りが強くなってきたので、やむなく傘をさして歩きました。昔は、レンゲ畑だった(つまり水田だった)場所は、ほぼすべて、家になっていました。見覚えのない風景の中を、トボトボ歩いてゆくうちに、「あ! ここだ!」と、足を止めました。きれいに整備されているけれど、昔何度かお参りした父方の先祖の墓があるはずの、墓地の入り口についていたのでした。

書ききりたかったですが、長くなったので、今夜はここで止めます。本当に、陽気が安定しませんね。皆様、くれぐれもご自愛くださいませ💕

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