久しぶりに中島みゆきを聴いて、泣きながら、心を揺さぶられた話。
年末年始以降、ずっと、気持ちがふさぎ気味でいました。
連日、またもやコロナ騒動の報道もヒートアップです。イヴェントの中止・延期の話も、ちらほら出ています。その影響で、私は、来月、行く予定のコンサートがなくなりました。中止ではなく、延期であるのが、せめてもの救いだといえば、言えるかもしれません。東日本大震災からの復興を願うイヴェントですから、関係者もなんとか実施したいのでしょう。
明日、久しぶりに最愛のマエストロ・山下一史が指揮するオペラを観てきます。オペラは、苦手なので、実はギリギリまで迷っていたんですが、来月コンサートがなくなったので、行くことにしました。これについては、いずれここで書くつもりでいます。
さて。今日の午後、いつものようにラジオを聴きながら、インコたちの世話をしていました。
NHKfmに「歌謡スクランブル」という長寿番組があります。往々にして演歌がよく流れるので、私はあまり聞かないのですが、週6日の放送の(日曜日だけお休みです)後半は、いわゆるポップスも流れますので、割に聴いています。
2年前くらいから、1時間半の番組になりましたが、時々番組全部を、或る歌手や作曲家などの特集に使うことがあるんです。今日は、その特集で、しかも、私がその作品をほぼ愛してやまない貴重な存在・中島みゆきだったんですね。
今こそ、私は、クラシック音楽が好き! と、公言していますが、それはここ10年ほどのことです。子供のころは、テレビから流れてくる歌謡曲が大好きでした。クラシック音楽など、かけらも知りませんでした。
それがある時期から、テレビからも離れていくにしたがって、歌謡曲も敬遠するようになったんですね。それでも、楽曲が好き、というのは、いくつもあります。久保田早紀の「異邦人」とか、岩崎宏美の「思秋期」とか。そういう状況になっても、中島みゆきの作品だけは、ラジオから流れてきたりすると、耳が反応するんですね。
当時、本にしかお金を掛けられなかった私には、中島みゆきのレコードを買う余裕はなかったし、そこまで入れ込んだわけでもなかった。けれど、彼女の作品だけは、たいてい何を聴いても、「いいなぁ」と思えたのでした。先に「貴重な存在」と書いたのは、そういう事情を指します。
さて。今、実はPCのCDを聴く部分が壊れたらしく、もう2か月ほど、CDを聴けないでいます。PCに取り込んであるものは、辛うじて、大丈夫ですが、それ以外は、お預け状態。中島みゆきのCDも、2年前に、2枚ようやく買ったのですが、まだ開封もしてないお宝状態になっています。最近、聴きたくなっていたので、ラジオの特集はありがたかった。
彼女の最初のヒット作「わかれうた」からはじまって(実は、この作品だけは、いささか苦手です。聴いていると、胸が痛むんです)、「時代」とか「悪女」とか流れてきます。
そのうち、彼女が提供した楽曲のセルフカバーのコーナーになりました。そこで、「宙船」を聴いた瞬間、胸に込みあげてくるものがあって、ラジオに合わせて歌いながら、泣いていました。
オリジナルを歌っているTOKIOのファンの方には、申し訳ありませんが、この作品の場合、みゆきが歌っているヴァージョンのほうが、はるかに素晴らしい、と、私は以前から思っています。
怒りすらこもっているように聞こえる野太い声。地の底から、彼女自身も涙をこらえて、聴き手に寄り添いつつ、エールを贈っているように、私には聴こえます。その声のパワーが、すっかり萎えてしまっている感のある私の心の壁を、たたいている気がしたのです。
「どうした? つらいことがあったか? そうか。それはつらいな。でもね。あなたの人生は、あなたのものだよ。どんなにつらくても、前を向いて、泣きながらでいいから、進むんだよ!」
そう叫びながら、ドン! と、背中を叩かれた気がしました。そう感じた瞬間、私の中でパチン! と、何かが割れた気がします。たぶん、昨年末以来、私の心を覆っていた膜がはじけたのでしょう。
泣きながら聴き終わって、なんだか心身が軽くなったような、視界が明るくなったような気がしています。天国へ帰った子たちが、私の体たらくを心配して、贈ってくれたのかもしれませんね。
今、中島みゆきは、歌うことをやめているようです。楽曲提供はしているのですが(今、NHKの「ラジオ深夜便」の12月・1月の歌を工藤静香が歌っていますが、それはみゆきの作品です)。こうした時代だからこそ、彼女の歌声が必要だと、私は切実に感じています。コロナ騒動が落ち着いたら、戻ってきてくれるでしょうか?
それまで、手持ちのCDを聴けるように、なんとかしなくては。