良い演奏は、後を引くなぁ!(^^)!
今、頭の中に、先週の勤労感謝の日に、君津市民文化ホールで聴いた、ドヴォルザークの「チェコ組曲」からの「ポルカ」が流れています。
これは、山下一史指揮する千葉交響楽団の演奏会での、アンコールでした。ドヴォルザーク自体、私は大好きですが、このアンコール曲は、彼の作品の中でも3本指に入るほどのお気に入りです。
何時か山下さんの指揮で、仙台フィルハーモニー管弦楽団か、千葉響で聴きたいと願っていたのです。それがかなった、と、わかった時、私は座席で感激にしびれながら、楽しんだものでした。
今回、見出し画像にいただいてきたものは、私がこの作品からイメージするものにとても近かったので、即決で使わせていただいたのでした。
さて。今回は数日前に「名演から、エネルギーいただきました!」とのタイトルで書いた、コンサートレポートの続きになります。前回は、コンサート前半のメインの、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」の感想でした(好意的に読んでくださっている方が多くて、感謝です!)。今回は、コンサート全体としてのメイン曲、ドヴォルザークの交響曲第8番のレポートを。印象がぼんやりする前に、書いておこうと思います。
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ドヴォルザークの8番というのは、私には思い入れが強い作品です。11年前、大宮のソニックシティの大ホールで、初めて山下一史&仙台フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴いたときのメインだったからです。
東日本大震災で被災した仙台フィルが、オーケストラとして、被災後初めて演奏できたコンサートでした。「オーケストラとして」と申しますのは、仙台フィルが独立した演奏家集団として演奏できた、という意味です。
被災後、ホールも使えず、演奏活動もままならない中、日本中の音楽関係者が、支援の手を差し伸べました。
音楽家は、演奏してこそ音楽家です。この支援は、仙台フィルの方々に演奏の機会を提供する、という形で行われることが多かったです。コンサート会場での募金活動なども、活発でした。
ただ、そうは言っても、オーケストラ本体を丸ごと呼ぶのは、なかなか厳しかったようです。それで、室内楽のレヴェルとか、地元のオーケストラとの合同とかで、演奏しておられたのだと聴いています。
大宮での演奏会は6月19日。被災から3か月ちょっとで、やっと、「仙台フィルハーモニー管弦楽団」としての演奏会ができたのですね。
そういう事情からでしょうか。舞台の上の楽団員の方々は、どなたも笑顔でした。「みんなで演奏できる喜び」が、演奏されている方々から、あふれていて、それがエネルギーにもなって、客席にも伝わってきました。その様は、あまりにも衝撃的でした。同時にその姿が、1年前、或るコンサートで、全然良いと思えず、コンサート恐怖症になっていた私を癒やした上、一目ぼれさせたのですね。
ただ、この頃私は、本当に演奏会に行く折がなかったのです。それで、あまり聞きなれないドヴォルザークの8番を、具体的に記憶にとどめることはできませんでした。それでも、私を一目ぼれさせて、その後コンサート通いをさせることになったこの作品は、やはり特別な存在だったのです。
あれから11年たって、私もそれなりにいろいろ聴いてきたおかげか、今回は、作品から具体的に楽章単位でのイメージができて、余計、楽しむことができました。
第1楽章は、にぎやかなお祭り。第2楽章は、豊かな田園風景とそこを襲う嵐。第3楽章は、嵐が無事すぎて、穏やかな美しい夕べが訪れる様。最後の第4楽章は、嵐が過ぎたことを喜ぶお祭り。
そういうイメージでした。ことに第2楽章は、ベートーヴェンの第6シンフォニーの「田園」を思い出させるものがありました。ただ、ドヴォルザークのこの作品の場合は、楽章である分、コンパクトにまとまっている感じでした。聴いていて、濃密な湿度だったり、荒れ狂う暴風雨のエネルギーだったりが、凝縮されて見事に表現されている印象でした。きわめて、解像度の高い名演だったと、私は確信しています。
ベートーヴェンもいいですが、農村地帯で育った身には、ドヴォルザークの作品から感じる、土の香りが豊かに伝わってくる明るい土着性が、慕わしく思えたものでした。
ドヴォルザークは、自らの故郷を終生深く愛したことで有名ですが(同時に、彼はいわゆる”鉄”でもあったんですよね)、そうした愛情があふれてもいる作品だなぁ、と、実感しました。自分の出身地に対して、冷めた目を持ちがちな私をも、揺さぶる力を持っていました。
今も、ひょいとこの8番の第3楽章の優しくて、何処か哀愁も漂うメロディが頭の中に流れてきます。それは、あの時の、山下さんと千葉響の方々の、力強くて、そのうえ、演奏できる楽しさを表している姿と一緒になっています。
あの時、ホールの外は大雨でした。けれど、ホールの中では、聴く者の心を満たす豊かな世界が広がっていたのでした。
終演後、ホールを後にする方々は、多くが笑顔だったのも印象的でした。大雨は続いていましたが、コンサートでの熱を鎮めるのに、ちょうどよかった気すらします。もちろん、私も笑顔でホールを去った一人だったのは申し上げるまでもないですけれどね。
今回、私は、自分の眼が、最愛のマエストロにあまり行かないで、千葉響の方々だったり、ソリストの方の姿に惹きつけられていることに気が付きました。山下さんの指揮でなければ、君津まで行ってないことは確かですけれども、それでも、千葉響をさらに好きになっているのかなぁ、なんて、しみじみ思ったことでした(仙台フィルだと、山下さんでなくても、出かけることはあるのですが)。
まだまだ、これから飛躍しそうな気配のこのコンビ、出来る限り追いかけようと思っています。
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