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#01 暗い80年代と得体の知れないノイズ ~ Pink Floyd 『A Collection Of Great Dance Songs』 (1981)

暗い80年台がやってきた

何らかの意図を持って、声がこちら側へ発せられているのを感じると萎える。逆にどこに向かって鳴らされているのか、にわかには判別できない音楽の方に惹かれる。どこかで音が鳴っている、どこにも向かわずにただそこで鳴っている、そのようなものに。

多くの示唆に富む音楽批評を送り出している若尾裕氏は著書「奏でることの力」の中で、資本主義の発展とともに「誰にでも分かり、誰にでも簡単に情動を短時間に惹き起こすことが可能な音楽が目指されるように」なり、それらの音楽は「ひたすら一面的な受動を強いる」と指摘している。世に流通している音楽には多少なりともある種の押し付けがましさが含まれているのです。

遠藤ミチロウは言った「うたは、愛するための『ウソ』なのだ」と。歌う、音を発するという行為に付きまとう詐欺性へのある種の醒め、諦念のようなものをそこに感じる。叫びながら醒める、まとわりつきながら離れてゆく、そのような二重性に引き裂かれた感覚。そうでなければ、音楽を放り投げる、ただ並べる、捨て置く。せめてそういう態度で音を鳴らすべきなのだと思います。意味もなく親しげな笑顔で近づいてくる音楽に対しては、こちらも身構えてしまうというものです。

大友良英がポップ・グループの「We Are All Prostitutes」に戦慄していたころ、ラジオからはもう少し耳に馴染む「暗い80年代」の旋律が聴こえてきた。1980年のとある夜、いつも聴いていた番組でその年の洋楽ヒットを振り返るという特集が組まれていたので、すかさずラジカセの録音ボタンを押した。しかしながら、そのテープは何度も繰り返し聴いたにもかかわらず、そしてそこには明るい80年代の到来を告げるようなカラフルなナンバーも含まれていたはずなのに、今となってはまるで印象に残ってはいない。残っているのはクラッシュの「London Calling」、ポリスの「Message In A Bottle」そしてピンク・フロイドの「Another Brick In The Wall (Part II)」という、薄曇りのような暗いトーンを持つ3曲でした。

改めて聴いてみると" 声が届かない "という共通のモチーフを根に持っていることに気付いた。そこに漂う冷徹さ、ネットリ感の希薄さは乾いたヨーロッパに特有のものに思える。北米も含めた他の地域の人たちがこのさり気ない薄曇りの風情を出そうとしても、そう簡単ではないような気がする。クラッシュなど今となっては熱苦しさの代表みたいに語られがちだけれど「London Calling」あたりの抑制の加減というか、音楽を枠にはめる際の手さばきの自然さは、なかなか再現できるものではないと思います(B・スプリングスティーンによるカバー・バージョンの熱量を思い出してほしい)。

I Hate Pink Floyd

クリス・トーマスがもしPILのプロデュースをしたならば、再び『Dark Side Of The Moon』のようなアルバムを作っただろうか?かつて「I Hate Pink Floyd」とペイントされたTシャツを身に付けてキングスロードを闊歩していたという、あまりに有名な逸話に反し、ジョン・ライドンは密かにP・フロイドの『Dark Side 〜』を愛聴していた、、という事実を知ったとき、プログレを仮想敵と見なしていた古典的なパンク小僧ならばハシゴを外されたような気分になったかも知れない。しながら、ピストルズよりも先にPILの方を聴いていたような80年代者に言わせると、70年代初頭あたりのP・フロイドが持ち合わせていた音楽の負性、傷口性がPILにも受け継がれているのは疑う余地もないことなのです。

音楽以前の未明の「ナニモノカ」が、音楽そのものをジワジワと侵食しているような腐食の手触り、、そのような微細なサインがこちら側まで届くかどうか?ジャンル云々よりもそこの部分が死活的に大事なのです。『Meddle』までのP・フロイドの音楽はそういう腐食性に満ちていた。それが『Dark Side 〜』からはむしろ音楽の精緻さ、音楽の" 正性 "が霧もやの中から浮上して際立ち、その結果として全米一位をモノにしている。この変質はPILに当てはめるならキース・レヴィン在籍時と脱退後における「ノイズ含有量」の差に相当すると思います(こちらの方は売れませんでしたが)。

ともあれ、ピンク・フロイドの音楽から徐々に" 負 "の要素がはがれ落ち、極めて理知的な構築物として屹立したアルバム『The Wall』の厳(いかめ)しさには、ちょっと付き合いきれないと感じたとき、シングル「Another Brick In The Wall (Part II)」のイントロのさりげなさに安堵する。まったく踊れない一人称のディスコ・ミュージック。それをただ提示する、捨て置く。そこに呪術性が立ちのぼる寸前のところに留まり、ぶっきらぼうに鳴っている。この素っ気なさはしかし、人々を一つ所へ集め、心を通わせ合うことを至上命題として掲げる全ての善良なる音楽 ≒ 大半のポピュラー音楽に対する抗いの旋律となり得ているのです。この一点において「Another Brick 〜」はPILの「This Is Not A Love Song」と比すべきナンバーであり、さらにニュー・オーダーの「Blue Monday」も加えて世紀末の三大虚脱的ディスコ・ミュージックと呼ぶべきかも知れません。

やはりこの曲はシングル・バージョンでなくてはいけない。アルバム『The Wall』の中ではこれ見よがしに盛り上げる「The Happiest Days Of Our Lives」に押し出されるようにして、堂々とした面構えで鳴っているけれど、シングルの方はこれ以上ないほど簡素なイントロに導かれ、曲全体が何やら不穏に黄昏れている。やはりこれも空耳には違いないのです。その音楽が置かれる場所によって何が聴こえるかが違ってくるのです。

さて、その「Another Brick In The Wall (Part II)」のシングル・バージョンが聴ける編集盤は今のところ『A Collection Of Great Dance Songs』だけのように思われます(正確にはシングルよりも少し長めのバージョンですが)。このアルバムも、単に『Meddle』から『The Wall』までの各アルバムからキャッチーなやつを1曲か2曲チョイスして並べましたよ、長い曲は短く編集してねじ込みましたよ、という身も蓋もない代物ではあるけれど、その無思想ぶりに痺れる。プログレの黄昏、しかし黄昏も含めてプログレ。

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