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#00 「負の音楽」について

積み増さない音楽、積み増さない人生

このnoteは音楽が孕む「負性」について掘り下げていこうと目論むものです。

といっても、何か特殊なジャンルの音楽を取り上げようというのではなく、ごく普通のポピュラー・ミュージックの類しか扱っていません。そういうありふれた音楽でも足元を掘り進めると、いずれ負の地層にぶち当たるものだ、ということに言及できればと思っています。

マイルスの「アガルタ」を初めて聴いたとき、ここに漂う不穏さはスターリンの「トラッシュ」に似ている、と自分が感じたことに対する驚きが、このnoteに収められている文章を書こうと思い立った直接的な要因となっています。この全く接点のない両者を架橋するような音楽の語彙は、果たしてあるのだろうか、と。そこで不意に「音楽の負性」という問題が顔を出しました。

「音楽の負性」とはなんでしょうか?記事の中では音楽の「傷口性」だの「根源のゆらぎ」だの言っとりますが、端的にいって「積み増さない」ではないかと思います。日本語になってないですね。

私たちは日々、経済活動に勤しみ、日常の中で様々なものを積み増しながら、なんとか生きています。価値を積み増す、評価を積み増す、良きものを積み増す‥‥。その運動をローリングさせる活力を与えてくれる音楽や、あるいはそこで疲れた人を慰撫して再びそのローリングへと誘うための音楽はこの世に氾濫しています。

一方の音楽の「負性」というのはそういう方面には一つも寄与しない役立たずの側面であると考えます。本来「積み増す」ことで成り立っている音楽の「積み増さない」部分。しかし、そのような無能性がこの世界と接するとき、悶えのような、軋みのような不可解な音響を発することが稀にあります。そこに、私たちの深いところに隠れた琴線に触れてくるナニモノかが宿っているはずなのです。

音楽の中に潜む、経済活動の語彙では捉えきれない部分、むしろ言語そのものが蝕まれてゆくような領域で鳴る「得体の知れないノイズ」こそが、音楽がこちらの身体に直に流れ込んでくるためのトリガーなのです。そのような得体の知れないモノに自らの感性が混ぜ返される体験にこそ、音楽を聴くことの愉悦があると思うのです。

当然のことながら音楽に関する客観的な評価基準などというものは存在しません。「音楽の好み」には、人それぞれにある種の偏向があるだけです。それでも、このnoteにて言及する事がらに、幾ばくかの普遍性が含まれていてはくれまいかと、密かに期待するものではあります。

「1984」からの問いかけ

80年代の遠藤ミチロウの言動をそれなりに熱心に追いかけていた方ならば、あるいはピンときたかも知れませんが「負の音楽」というタイトルは、1984年の12月に出版された「バターになりたい 〜 遠藤みちろう対談集」に収められていた渋谷陽一氏によるロング・インタビュー中の最も印象的なやりとりを念頭においたものです。

遠藤「僕にとってロックというのは、いや、うたっていうのは、マイナスのものって気がするんです、そこいら辺りで。」
渋谷「へえー、僕なんか、逆に< 音楽=プラス >という妄想を抱いてますけど。」
遠藤「というか、負の感性をひっかくんじゃないか、と。」
渋谷「そうですか。僕はプラスの感性を誘発する気がするけど。その辺りが、黒人音楽に向かうか向かわないかという分かれ目じゃないかな。」

この数行だけでも、何やら音楽という謎の核心をかすめているような気配がします。しかしながらこの後、延々10数ページに渡り「負の感性」「コトバと音楽」を巡って交わされる両者のやりとりは濃密ではあるものの、今ひとつ噛み合わないまま進み、明確な着地点を見ずに終わるのでした。

この二人の音楽観を巡るすれ違いは一体どこから来るんだろうか?という疑問、これがつまずきの石でした。そこからちょうど40年経つことになりますが、この問いはいつも傍にまとわりついてきたように思います。

しかしながら、つまずきの先にある細い道にこそ、人生を高揚させるオモシロキものが潜んでいるはずなのです。最近になってようやくこの議論の目指す先にあるものが 〜 恐らく当人たちの意図と離れたかたちではあっても 〜 見えてきたような気がしています。だが、それを言葉にするのは難しい、、

お喋りして開く回路もあれば、押し黙ることで開く回路もある。結局のところ、" 美 "を捉える感性というのは各々、孤独に抱きしめるより仕方がないのではないか?そんな考えがいつも頭をよぎります。この欠乏感こそが、語り得ないもの 〜 音楽の負性を捕まえるための必須の症状なのだと言い聞かせて、見えつつあるものをなんとかこのnoteに連ねていければと思っています。

そして「他の誰でもないこの私の身体」を巡り、はるばる40年の時を経なければ漏れ出ることが無かったであろう言葉たちを、祝福したいと思います。

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