スパイク・ジョーンズと冗談音楽
今日はスパイク・ジョーンズについて綴ってみようと思います。
日本でも「フランキー堺とシティスリッカーズ」から「ハナ肇とクレイジーキャッツ」へと影響を与え、「ザ・ドリフターズ」もその流れを組んでいると思われるアメリカのビッグバンド。コミックバンドの大御所です。冗談音楽のキングとも呼ばれています。
わたしはアメリカにいたときに知って帰国の際にカセットテープをゲット。当時は映像で見ることはできなかったけれど、聞くだけでも十分面白くて、歌詞の全部はわからなくても、文化背景はわからなくても、何度も聞いてはニヨニヨしていました。
「スパイク・ジョーンズ & ヒズ・シティ・スリッカーズ」。
Spike Jones & His City Slickers
1940年代にレコードやラジオで、1950年代にはTVで一世を風靡しました。
1960年代にかけては、
・The Spike Jones Show
・Swinging Spiketaculars
といった自分の番組を持つほど人気でした。
まずは一つ観てみてください。
チャリティー番組に出演したときのものです。
曲はスッペの「詩人と農夫」序曲です。
いでたちからしてとびきりおしゃれ!
演奏も楽しい上に、ギャグの連発!
バンジョーのフレディ・モーガンも超絶愉快。
リズム感もノリもめっちゃいいですよね♡
それから是非見てもらいたいのが、代表作の一つ、これ!
SPIKE JONES - COCKTAILS FOR TWO
元は、女性が歌うしっとりとした映画音楽。このステージもそういう雰囲気で始まりますが、ところがどっこい、いいところで場面が変わり、良き歌声の歌詞に合わせていろんなことして割り込んでいきます。最後はきちんと終わるところまでセンス抜群です!
これらの他にも、ウィリアム・テル序曲、美しく青きドナウなどのクラシックから、ポピュラーまで、彼らはどんなものでもギャグ音楽にしていました。楽器や楽器じゃないもの、銃声、ホーン、皿を割る音、音が出るものならなんでもふんだんに使い、随所にギャグをぶちこんできます。どれを見ても好き放題にやらかしてて痛快だし、 めっちゃ楽しい。
とはいえ番組全体を通してギャグばっかりやっていたわけではなく、普通に真面目に演奏してしっとりと良い音楽を聴かせたり、ゲストも多く招いていたようで、番組としては音楽バラエティだったようです。
スパイクは、子供の頃からドラムを叩いていました。やがてフリーランスのドラマーとして活躍し、それから自分でバンドを作ります。
ギャグ音楽に転向したきっかけが面白い。
それはストラビンスキーの「火の鳥」の公演を見に行った時のこと。
ダンサー(セオドア・コスロフ)が美しく踊っているというのに、ストラビンスキーが指揮棒を振るたびに彼のエナメル靴がキュイキュイ鳴って、それで気が散ってしまい自分でもイライラが我慢できなかったのだそうです。周りの観客も「あら、またストラビンスキーの新しい手法かしら」と冷笑していたとか。でも家に帰ってからふと、「こういうミステイクを効果音として音楽に取り入れられないかな、人々が笑うくらい面白くできないかな」と考えて、仲間とデモを作ってレコード会社に売り込んだ、ということです。
レコードがラジオでヒットし、全米ツアーで大成功を収め、TVでその人気は不動のものとなります。
1988年に「The Spike Jones Story」という番組が制作されました。ありがたいことにyoutubeで見れるので、興味を持った方はぜひ観てみてください。
The Spike Jones Story - Part 1
The Spike Jones Story - Part 2
さて、日本への影響のことですが、
「フランキー堺とシティスリッカーズ」
1953年から約3年間活躍したスパイク・ジョーンズのコピーバンドです。スパイク・ジョーンズの楽曲コピーのほか、日本の曲を面白くパロディにもしていたみたいです。メンバーには谷啓、植木等、桜井センリらがいました。フランキー堺が俳優業に移っていったため解散します。
「ハナ肇とクレイジーキャッツ」
ハナ肇は「フランキー堺とシティスリッカーズ」などのバンドボーイを経て、1955年に自らのバンドを結成します。後から谷啓、植木等、桜井センリらが加わって、1957年に「ハナ肇とクレージーキャッツ」となりました。めちゃめちゃ人気があったみたいで、彼らが主演の喜劇映画がいくつも制作されました。植木等の「無責任男」というキャラや、楽曲「スーダラ節」はわたしでも聞いたことがあります。
「ザ・ドリフターズ」
始まりは1950年代に結成されたロカビリーバンド。「ハナ肇とクレイジーキャッツ」の後輩に当たります。のちに有名になるまではメンバーは加入脱退が激しかったようです。2代目リーダーの桜井輝夫が音楽性をコミカル路線に変更するに至り、他のバンドでベースを弾いていてコミカルな演奏もしていたいかりや長介を引き抜きました。のちにいかりや長介が3代目リーダーとなって完全にコミックバントになっていきます。だんだんとコント路線になり、1967年にはドリフ主演の映画「なにはなくとも全員集合!!」が作られます。1969年にTV番組「8時だョ!全員集合」となって土曜の夜の茶の間を賑わすことになるのです。
わたしなんかは子供の頃ドリフを見て育った世代。
遠いところからスパイク・ジョーンズに感化されていたのだと思えてなりません♡